前の記事で「部下を叱れないことに悩む中間管理職」を抱えた、さらにその上の上司にまで話が及んでしまいましたが、一旦元に戻します。
もう少しじっくり「はからずも上司になってしまった人」にスポットを当てて、悩んでしまう心情を丁寧に見ていきたいのです。
「上司」は怖くないのに『部下』は怖いと感じる現象
過去記事をずっとお読みいただいている方は「もうわかってるよ」と言いたいかもしれませんが、大事なところなのであえて繰り返します。
“望まない昇進”によって、部下を持つ立場にさせられてしまった人たちの状態を、文章で描写してみます。
したいことはあるが「させたいこと」のイメージが無い人は要注意
業務スキルの限界は、努力で突破できる。
長年培ってきた数々の創意工夫と、様々な逆境を乗り越えてきた実績と自信を糧に、さらに上位のレベルへ自分を押し上げる姿もイメージできる。
つまり、自分自身との戦いに特化した歴史であり、担当業務の能力はあくまでも「自分が実施する場合の対応能力の高さ」だ。
そういう意味では誇りを持っているし、意地も根性もあるつもりだ。
だが、「部下を教育する」となると、話は全く別だ。
時に注意したり叱ったりしなければならないのは、性格的に苦痛だ。
そんな教育は受けたことがないし、イメージしたこともない。
さらに、「部下たちと自分」という人間関係の図式になってしまう。
これが何より恐ろしい。
不平不満を持つ部下たちが、自分のいないところで陰口を言っているかもしれない。
指示をボイコットされたとき、誰も助けてくれないかもしれない。
たしかに「推測で怖がり過ぎてませんか?」と問いたくなる状況かもしれません。
管理職研修の費用対効果こそ、非合理的なコストではないか?
今度は、会社側の状態を文章描写してみたいと思います。
昇進したばかりの中間管理職が、部下との距離感のことで、周囲に漏らせない悩みにより深い闇に陥っている。
どうやら「思い込み」が原因だという噂を聞いた。
不定期ではあるが、当社には管理職研修があり、そこではいくつものプログラムが実施される。
多くは自社業務のレベルアップ用だが、最近では「悩みに対する教育訓練」の取入れが検討されているらしい。
この問題は、そこで解決すればよさそうだ。
そんな中、数あるカウンセリング理論の中でも、問題から曖昧に逃げることなく、マイナス思考と正面から対決する流派があるらしい。
「それは事実か? 推論か?」
そういう問いを繰り返して「不合理な思い込み」から脱却させようとする、論理療法なるものがあるという。
幹部をカウンセラー役とし、その技法を使って指導が行えれば、企業戦士として一皮も二皮も向けてたくましくなるだろう。
……というようなケースも考えられます。
論理療法以外では、行動療法みたいな実践的理論に基づくセラピーの応用も、スピード感があって職場での応用事例は多いのではないかと思います。
しかし、不安や恐怖に駆られた人に、そういった手段が効果的といえるでしょうか?
社内カウンセリングなら費用対効果は高いか?
実業においては、できるだけ少ない投資で大きな成果を狙うのがセオリーです。
仮に、従業員に対して心理カウンセリングのようなことを行うにしても、できる限り生産性を損なわない形を望みます。
端的に言えば、時間をかけたくない。
落ち込んだスタッフがいたら、一刻も早く自分を取り戻して現場へ送り込み、期待する役割をしっかりと果たしてもらいたい。
最も合理的な解決策が望まれるので、マイナス思考は手早くプラスへ切り替えさせたい。
そういう願望を持つ企業側にとって、論理療法とか行動療法の類は、その手っ取り早さが魅力です。
ただ、どんな療法を施すにしても、最初に信頼感と安心を確保しなければ効果を発揮しないのが事実です。
専門用語では「ラポール」というそうですが、セラピストは相談者との間で、最初にこの信頼関係を築く必要があります。
逆に言えば、ラポールが築けたら、何の療法でもそれなりの効果を発揮すると言ってよいかもしれません。
カウンセラーやセラピストでも、この「ラポール形成」の安定度の高い人は、それだけでかなりハイレベルな方だと思ってよいと考えています。
ということは「とにかく〇〇療法のマニュアルに沿っていれば間違いあるまい」と、技法ありきで対話セッションをスタートすることが、非常に危険であることも示唆しています。
「こないだリーダーに昇進したAさん、悩んでるらしいね」
「なんでも、部下を叱れなくてすっかり落ち込んでるとかいうウワサだよ」
「よし。時間もかけられないし、一発、論理療法でカタを付けるぞ」
そんな素人チックな浅い判断で、「論理療法マニュアル」片手に会議ブースへ当人を呼び出して面談などしたら、最後は「言い聞かせて終わり」みたいなお粗末な対話セッションになりかねません。