職場においていがみ合う上司と部下の話を発端に『上手く叱れない先輩・上司』にスポットを当て、“職場での論理療法”の話をしてきました。
職場での論理療法
下の記事では、悩んでいる人に対して「ただただ共感してあげる」形式の接し方で行き詰ってしまう場合に、論理療法が有効という説明をしています。
また、その際、悩んでいる相談者が心に抱いている「合理的でない思い込み」に挑戦できる状態かどうかを見極める必要があるということも書いています。
『自分にOKを出せない人』が人の上に立った場合
もし、相談者に充分な準備なく論理療法的アプローチ「それは事実か? それとも推論か?」で迫っていったらどうなるか?
まず、「その思い込みによってツラい思いをするような考え方を、なぜ変えないのか?」という相談者の心情を、事実認識できているかという問題があります。
下の記事から抜粋しますが、たとえばこんな思考癖がある部下や後輩がいるとします。
出 来 事(A)→上司なのに部下を注意できない
固定観念(B)→上司は部下を叱れなくては本物ではない
結 果(C)→私はダメ上司。部下の上に立っているのが苦痛だ
現状、この人は自分にOKが出せない状態です。
「自分にOKが出せない」がベースになっている人は、どんな事柄に接しても基本的に「私はダメ」と思い込むことになるでしょう。
自己否定して自信を無くし、それによって対人接触が一層苦手になる悪循環が起きやすい。
そういう人にとって「人の上に立つ」なんていうのは、その悪循環を猛烈に加速する場面でしょう。
だから、「昇進うつ」みたいなこともよく言われるのだと思います。
「出世したくない」が『逃げ』ではなく『キャリアパス』の人
こちらの記事で書きましたが、「業務スキル」と「部下に注意できる」ことはワンセットではありません。
専門性の高さと実務能力を認めてくれたのなら、マネジメントなどというものに煩わされず、専門分野に一層の磨きをかけて会社に尽くしたいと考える熟練者は、意外に多いのではないでしょうか。
これは大いに、合理主義者的なデジタル思考かもしれません。
「業務スキル」というやつにはマニュアルがあったり指導者がいたりして、明確な道しるべが各所に示されている。
その隙間を埋める経験知の技量に個人差があるだけのこと。
経験知の技量やセンスが上がるのは、役職が上がるのとは別の意味であり、高いレベルに上がったときの身の処し方のイメージも、かなり具体的にできるものである。
だが、「マネジメント」というものは実に抽象的なものであり、年次が上がるにつれ、周囲からなんとなく「できるだろ?」という空気感を出されるが、本当はそれには「できません!」と言いたかった。
上の立場に立った自分ができることといえば「スキルの伝授」だけであり、人間性を発揮してメンバーの育成やら問題の解決などというのは、できればそれ専用の部署に任せ、自分にさせないでほしい。
FineGraphicsさんによる写真ACからの写真
こういうタイプの人を「実務ができるから、組織の長になれ」と役職アップさせて部下を付けた結果、『叱れないことで悩んで会社に行けなくなる』などといった状況に落とし込むことは、どうも合理的とは言えない気がします。
舞台設定が非合理体制に仕上がった状態のところへ合理的な論理療法を持ち込むこと自体、筋書きが崩壊していて、そのセッションをやって事態が解決の方向へ行くとはあまり思えないのですがどうでしょうか。