(注)複数回にわたってセブンイレブンのことを書いていますが、これは主に私がアルバイトしていた昭和63年~平成2年頃の記憶を元にしています。
現代のセブンイレブンの状況とはズレがありますが、そのズレの部分を強調するための記事ですので、あらかじめご承知おきください。
新規獲得コスト不要で新たな顧客を得られた頃
有名コンビニチェーンの看板を掲げているだけで、「コンビニへ行ってみようか」と利用を開始する新規客が多かった時代、それまで他の商店へ流れていた消費者がグングン入ってくるようになった。
しかも、よほどのことがないかぎりリピートしてくれる。
セブンイレブンなどは「セブン♪イレブン♪いい気分」や「開いててよかった」などのCMも有名で、イメージ宣伝がこれほど決まったタイミングも珍しかったのではないでしょうか(ローソンで言えば『開いてますあなたのローソン』もそうですね)。
ちなみに、大企業がやっているイメージ広告を、中小・小規模事業者がマネることの無意味さを以下の本でわかり易く述べていますが、上記のような広告効果は、今では大企業でさえあまり望めないと思います。
広告代理店は、中小企業にもイメージ広告を勧めてくると思いますが、もし迷ったらこちらの本を読んでみてください。刊行時期は古いですが、今でも活きる理論が描かれています。
ドミナント出店に「新規獲得補正」がついていた頃は明らかな”好機”だった
平成初めの頃、松山市在住の友人を訪ねたとき、松山ではローソンが強く、セブンイレブンは存在しないという事実に驚きました。
四国はそのような状況だったようですが、そういった地域を除いては、売上収益も利益率においても、セブンイレブンは母体であるイトーヨーカドーの手堅い経営を、見事に踏襲していたことでしょう。
A:売上は伸びている。客はコンビニを必要としている。
B:加盟店は活況を呈している。過去の実績がそれを示している。
条件AとBを総合し、「つまり、出店すれば成功する時期だ」
平成初めの頃、ドミナント出店を取り上げた書籍や雑誌を頻繁に目にしました。
私が当時住んでいたつくば市にも、新規店舗が目立つようになったころなので、展開の規模や速度が増した時期だったのでしょう。
従業員教育にもその功を発した「地域の栄養素」
当時の私は新たに建設されるセブンイレブンの店舗を見ると
「おお!ここにもできるのか!」
と、なんだか嬉しい気持ちになったものです。
しかし今考えると、その新規店舗の区画に、以前どんな店があったかが曖昧なことが多かった。
というか、そもそも以前は商店が無かった場所に、いきなりコンビニが作られるケースが見られるようになった。
「地域の栄養素」が可能にした人材育成
「町の酒屋・三河屋さん」がセブンイレブンになると、それまでは酒飲みのおじさんとか呑み屋さんの仕入とかに限定されていた客層が一気に広がる。
それに伴って取扱品目も増えるけれど、その混乱が最小限で済むマニュアルが準備されている。
それに、長年の商売で得た豊富な人脈や信用があり、昔からの知り合いなど最初から気心の知れた従業員になる場合が多く、比較的指導もしやすい。
教育(特に接客を伴う現場の教育)は、マニュアルだけで完結するほど単純なものではない。
それに、アルバイトするのはまだ子供と言って差し支えない若年層であることも多いので、必ずしも“社会人が作った社会人テイストのマニュアル”が、そのまま通用する保証はない。
となれば、やはり店主の人間力がモノを言う。
「加盟してよかった」と言える”地力”のあるオーナーが多かった時期
周辺住民との人間関係がしっかりしているほど、その呼吸や空気感を肌で感じられるオーナーの接客姿勢が、従業員の質の向上に直結する。
こういった、その地に根を張って長年商売を営んできた商店は、いわば土地から得られる養分をたっぷりとその身にたたえている。
初期のコンビニで成功したお店のほとんどは、そんな背景を持つ三河屋さん的な商店だったというのが私の印象です。
そういうオーナーたちは「加盟してよかった」と思えるので活力も湧くし、アンケートやインタビューにも積極的にそう答えたのではないでしょうか。
そして、メディアはそれを取り上げ、コンビニを称賛した。
平成初期にそういった経済記事も多く、本屋に行けば関連書籍がたくさん並んでいたのは、そういうところに根っこがあったのでしょう。
これはコンビニシステムだけの功績ではなく、絶対に「地元の個人商店が持つ地力の強さ」が無ければ起き得なかったことだと思います。