生活スタイルの中に、初めて「コンビニエンスストア」というものを取り入れるようになった消費者が多数いた時代。
タイトルのとおり「セブンイレブン加盟店が激務に納得した時代の顧客行動」とは、それまでゼロだった「コンビニで買い物する習慣」が『1』になり、その後それが「2、3、4…」とグングン増えていったころの消費者の状況を考えると浮かんできます。
- 働き方はブラックでも、気持ちのうえでブラックではない環境とは
- 期待値を超える「見返りー張り合いー見返り」のループはあるか?
- 「帰宅後の2時間」をイメージする買い物スタイルを提供
- コンビニに新しい生活スタイルを見出せた時代、顧客の熱さが加盟店をノセた
- まとめ
働き方はブラックでも、気持ちのうえでブラックではない環境とは
コンビニエンスストアが急成長した1980年代から90年代、働き方が激化したオーナーや店員は多かったと思います。
私が働いていたセブンイレブンのオーナーは、元は三河屋酒店の老夫婦ですから、個人商店時代には店を閉めた後は家庭の時間です。
ということはフランチャイズ加盟直後の「朝7時から夜11時」という営業時間でも、以前より労働時間が長くなります。
年齢的にも、この変化は大きなストレスになったでしょう。
「家の屋内階段を下りると店舗」という状況
オーナー夫妻はお店の2階に住んでいたため、開店と閉店作業のため、早朝と深夜に必ず店へ出なければならない。
その間の時間帯も店に立つのは当然だし、オーナー業務や休憩のため2階に上がってパートやアルバイトに店を任せている時間だって気が抜けない。
今まではすべて夫婦二人だけで切り回していた店を、他人に任せて管理させる経験もまた、大変なストレスになるのは間違いないでしょう。
一般的に引退する年齢での開業
”この歳で、こんなことまでしないと店をやっていけないのか”
終わりなき毎日を思って呆然とすることもあったでしょう。
”一向に疲れが抜けない身体は、どこまでこんな『むち打ち』に耐えられるだろうか”
そんな不安に苛まれることもあったと思います。
しかし、もう少し働く意思もあるし、もう少し稼ぐ必要もあるとなれば、何かの犠牲と引き換えにしてでも、365日店を開ける人生を歩まなければならない。
そのうち深夜1時までの営業になり、すぐに24時間営業となった。
文字どおり、24時間365日仕事する境遇になった・・。
普通に考えたら、完全にブラックだと思う。
期待値を超える「見返りー張り合いー見返り」のループはあるか?
コンビニで物を買うように生活スタイルを変えた消費者という存在が、そっくりそのまま商機をもたらしてくれた。
よそいきのおしゃれ感覚で一時的に呼び込んだわけではなく、日常の中でリピートしてくれるお客。
『会いに行けるアイドル』ならぬ『そばにいてくれる百貨店』
「欲しいものを買いにくる客」は、ニーズが生じた一瞬にやってきて、それを満たして帰る。
しかし「今何か欲しい欲しいものはあるか?」と考えながら来店する客は、頼んでもいないのに自らのニーズを掘り起こし、陳列商品をあてがってそれを満たすよう、自らを説得してくれる。
多種類の商品と商品かごを設置しておくだけで、自発的に満足して『ファン』になってくれるシステムは、画期的だった。
普段スーパーへ行かない客に「焦り」と『カゴ』を持たせる
(当時)慣れぬ「コンビニ」へ入店した客の行動でありがちなのはこんなパターンでしょう。
「しょせんはコンビニ。そんなに買うものなんてない」と、店内かごを持たずに手ぶらのまま入店する、ふだんスーパーへ行かない消費者。
買いたいものを手に取りながら店内を進むと、思いのほか買いたい品目が多いことに気づき始める。
少し焦りを感じてくるが「何とかなる」と持ち方を工夫したりするが、ついに両手でも持ちきれなくなる。
「もう会計して出ようかな」
そこで振り返ると、店内中央の柱の横に買い物かごが重ねてある。
「助かった!」
引き返し、抱えた商品をカゴにすべてぶちまけホッとする。
カゴの取っ手を握って再び店の奥を目指すとき、客の気分はアゲアゲ状態。
買い物かごを使い慣れていない独身者などは、カゴを持つこと自体が非日常で「これで安心して要るもの全部買える!」という雰囲気も購買意欲を後押しする。
「帰宅後の2時間」をイメージする買い物スタイルを提供
身近な『ながら欲』を手軽に満たしてくれる商品やサービスは、財布のひもを緩めやすい。
その行為をする「自分ストーリー」が、極めて作りやすいからです。
『イメージがし易い』と言い換えても良いでしょう。
ならば、顧客がイメージしやすくするための道具立てを調えれば、店側としては追加の購入も狙いやすくなる。
「家に帰ったらジャンプ読みながら飯を食おう」はわかり易い消費行動
会社帰りの独身サラリーマンの行動を例にとります。
月曜日の夜、仕事帰りに週刊少年ジャンプを買って、家で読みたい。
夜ご飯はまだ食べていない。
このとき、「ジャンプを読む行為」と「ごはんを食べる行為」の時間間隔は曖昧で、「ほぼ無い」と言って差し支えないほどです。
煮物が煮えるのをゆっくり待ちながら読むというイメージは湧きづらい。
「すぐ食べられて、すぐ読める」が理想ですが、さすがにジャンプを持ってマックへ入る大人は少ないでしょう。
マックはテイクアウトすればよいので、もしもマックでジャンプを売っていたら一緒に買って帰るでしょうが、そうもいかない。
「帰ってすぐ食べられるものとジャンプを一緒に売っている場所」の代表がコンビニです。
「ながら欲」を満たすための消費は2種類以上だが、顧客的にはワンアクション
いそいそと店内に入り、少年ジャンプをカゴの底へ平らに置くと「ジャンプを読むシチュエーション」に合うこの後の2時間程度の短期的消費意欲が猛烈に高まる。
このときのニーズを満たしてくれる便利さは、クセになる。
そのまま飲み物の棚へ行けば、ほぼ自動的に「飲みながら食べるイメージ」が湧き、自然と足は弁当惣菜、又はお菓子の棚を目指す。
先に弁当の棚へ行ったとすれば「食べながら飲むイメージ」が湧く。
この場合「飲むか?飲まないか?」というよりも「ジュースにするか?ビールにするか?」みたいな選択しか考えないくらい、この先2時間程度にフォーカスしたイメージは強いニーズを呼び起こす。
店内かごに描かれる帰宅後のストーリー
カゴをぶら下げて店内の売り場をブラブラしていると、帰宅後の消費行動イメージがあとからあとから湧いてくる。
その短期的消費意欲を満たす商品を次々とカゴに入れていくので、店内カゴの中には帰宅後のストーリーが描かれていく。
自分独り、又は極めて少人数が、狭い空間で過ごす、この後数時間の行動に特化した商品は、スーパーマーケットでは規模が大きすぎて敷居が高い。
「ちょっと行って、ちょっと会計して帰ってくる」くらいがニーズに合う。
このことを自覚した客は、それまで持たなかった便利アイテムを手に入れた気になり、コンビニを無二の存在と認識する。
今なら、初めてスマホを手に入れた時のようなインパクトでしょうか。
それによって、自分の生活スタイルに明らかな彩りが加わった・・。
コンビニに新しい生活スタイルを見出せた時代、顧客の熱さが加盟店をノセた
上記のような顧客行動は、令和に入った現在でも普通に行われているでしょう。
ニーズは根強くあるはずなので「だから売り上げはあるじゃないか。それも安定的に」と指摘する人もいるでしょう。
新規客が獲れたときと、継続購入ではインパクトが違う
ここで問題にしているのは、その安定的で根強いニーズが初めて発生したときの、コンビニ加盟店舗へのインパクトです。
これらの記事で書きましたが、何よりも大事だが代償も大きい「新規顧客獲得コスト」を本部が加盟店に代わって負担してくれたような効果の有無は極めて大きい。
これからの数時間をイメージさせると同時に、そこへの動線を提供してくれるコンビニというビジネスモデルは、それまで居なかったタイプの顧客を大量に獲得しました。
かつてはラーメン屋で食事後に帰宅していたサラリーマンや、学校帰りで家のおやつしか選択肢の無かった学生などが、わざわざ寄り道するだけの”新たな価値”をもたらしました。
スーパーマーケットよりも身近な立地と、夜中や早朝などスーパー閉店後の時間も開いている安心感を与えていることも、(当時は)かけがえのない魅力だった。
あまり期待せずに入ってみると「あ、これもある! あれも! スゴイ、こんなのまで置いてるんだ、コンビニって!!」というギャップも大いなる魅力だった。
本部の仕掛けた戦略で極めてホットになった消費者の購買力の高さを、当時の加盟店は恩恵として受けていたというのが私の印象です。
まとめ
結局、加盟店に大きな恩恵があることが、コンビニビジネスの肝なのではないかというのが私の持論です。
昭和の終わりごろと比べると、当時すでに枝分かれが進行していた価値観の個別化が際立っています。
たとえば、外国人の数だけで判断しても、当時と今とではまったく違う。
ということは、それだけ多種多様な人々の生活スタイルを受け入れなければならない店舗では、激務の度合いも当時より嵩増ししていることは明らかです。
三河屋さんの老夫婦がコンビニ加盟した当初に感じたストレスよりも、もっと激しいかもしれません。
フランチャイズ加盟店舗がそんな状態ならば、当時を上回るビジネス成功のインパクトが無いと、ただのブラック職場にならざるを得ないでしょう。
「加盟店が儲けられる仕組」が、本部-加盟店-客の3者ともがWIN-WINになってきた良き時代のコンビニ事業であり、コンビニビジネスの成功の姿だと思う。
だから、苦しい思いをしている加盟店が多いなら、ビジネスモデルが破たんを迎えているのではないかとすら思うことがあります。