1980年代に三河屋酒店からセブンイレブンに転換して成功したオーナー夫婦。
昭和末期から平成初期だったことが、成功の要因のひとつだったと思っています。
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私はその老夫婦の下でアルバイトすることが楽しくて、シフトが入っていなくても頻繁に店に寄り、そうでない日は別の店舗の観察に余念がないほどのどハマり状態でした。
最近はコンビニ自体をほぼ利用しなくなってしまいましたが、それでも街でセブンイレブンのカラーデザインを目にすると、特別な印象を持つことは当時と変わりません。
急成長時代なら吸収できた加盟店の『仕入れ負担』
コンビニのビジネスモデルが当初持っていた輝きが廃れてしまった今でも、当初と変わっていないものがあります。
今や知らぬ者は無いと言って過言ではないネームバリューなどは、その代表的なものでしょう。
”〇〇商店”という個人の屋号では集客が難しい。
無名の中小企業経営者ではビジネス展開が難しい。
しかしそんな状況も、『セブンイレブン』の看板を掲げることで一変します。
「売上と労働のバランス」の時代から「利益と労働のバランス」の時代に
すでに何度も書いてきたように、生活様式を変えた大量の潜在顧客が、雪崩を打ってコンビニ利用を開始する”成長期”と、世間にコンビニが充分に普及してしまった”成熟期”では、ビジネスが生み出すお金の流れは全く違う。
そんな中では、当時と変わらぬ負担の制度がプレッシャーになってくる。
廃棄間近になった弁当の値引き販売を許さないことが問題になりましたが、私が働いていた店でも、実際に廃棄はよく起こっていました。
「当たり」は売上利益(1種類)、「ハズレ」は棚卸損失、機会損失(2種類)の弁当類
私が働き始めた当初、元・三河屋さんのセブンイレブンはたしか、1日30万円台~40万円台程度を売り上げる店舗でした。
棚卸の時にオーナーが教えてくれた、店舗全体の商品の総額は、約3000万円という規模です。
弁当やサンドイッチなどを陳列する棚は2つでしたが、それでも店内カゴ2個ぐらいがいっぱいになるほど廃棄が出る日もありました(ふだんはそこまで多くなかったですが)。
本当なら私に弁当類の発注を任せて欲しいと思っていたのですが、さすがにこの「利幅は大きいが外すと大損」というハイリスク商品をバイトに任せるわけにはいかなかったのでしょう。
売れ残った商品が丸々損失となる意味での『ハズレ』のダメージは大きい。
逆に、予測以上に売れて棚がカラになるような状態なら、「もっと仕入れておくべきだった」という機会損失の『ハズレ』もある。
弁当は「当たるか?外れるか?」の50対50ではなく、「ハズレが2個、当たりが1個」という言い方もできたからです。
「コンビニって、売上のロイヤリティだけを本部に収めるんじゃないんですか?」
当時の私は、商品の「仕入」についての認識が全くなく「店舗まで運んでもらって売る」という経費要素無視の考えしかありませんでした。
頭にあったのは、売上に対して加盟店が本部に収めるロイヤリティのことだけです。
私が発注を任されていたのは一般食料品の一部ですが、売上ロイヤリティしか考えていない私は「売れるものを、売れる分だけ発注する」という、ある意味能天気な感覚で行っており、資金負担のことを思ったことがありません。
10代の頃の私の認識は「セブンイレブン本部は、加盟店からのロイヤリティで商売している」というものでした。
10代の拙い考え方が、ひとりの名経営者と一致していた
フランチャイズのほとんどは、本部が加盟店を“販路”にしています。
だから本部は高く納めたいし、加盟店は安く仕入れたい。
最初からこの時点で、本来なら協力し合うはずの両者が相反していることに問題意識を持っていたのは、サンマルク創始者の故・片山直之さんです。
だから片山さんは、サンマルクでは売上からのロイヤリティを本部が受ける形式にしたと言います。
そうすれば、本部は自分たちが儲けたいなら、加盟店の商売が上手くいくように配慮する。
加盟店に対して利幅を乗せた額で納品するというスタイルは取らない。
こうして加盟店オーナーたちと共に、お客さんの方を向いて事業展開ができるということですね。
ロイヤリティ以上の価値を、本部と加盟店が手作りしていた時代の再来
何が受けいれられるか手探りだった頃のセブンイレブンは、どうやったらお客さんが加盟店を利用してくれるかを、一つひとつ手作りしていた気がします。
マニュアルに賜暇がないかを、現場の実態を直に感じながら検証していた時期でもあったでしょう。
そして、前線の現実にそぐわない点はすぐに手直ししていったことも想像に難くありません。
既存のシステムやマニュアルにあぐらをかいて、アイデアだけを現場に投げてしまえるほどの実績を、本部が持たなかった時代。
自ら前線に出て行かざるを得ない状況では、当然そうしたこともあったと思うのです。
そして、実は今、再びそういう境遇にあるのではないでしょうか、コンビニは。