前回、お金の増やし方と筋肉の増やし方は同じということについて述べました。
まずはベースになる筋肉をつけ、後はその筋肉に働いてもらい、友達の筋肉を連れてきてもらう 。
① 増えた筋肉によって日常生活の動作を安定させる。
② ダイエット効果を発揮してもらう。
③ 上の2つによって動きやすくなった身体を活発に動かし、運動を楽しめるようになる。
この3項目が実現するだけでも、筋肉運用の成果としては上々でしょう。
- 一般的な中高年が目指したい運動習慣
- 「指導なんて別にいらないよ」と一蹴できるのは何歳までか?
- 『やめグセ』が付くのを避けたい?
- 「まずは手軽なジョギング」は、想像以上に難易度が高い
- 身体を俯瞰できる「歩く速さ」
- 「いきなりジョギング」は、『動き』に意識が向かない
- 「身体は老体、精神は子供」にならないように
一般的な中高年が目指したい運動習慣
やみくもに張り切って力尽きる運動では、継続できないので意味がない。
お金を増やすコツが「おカネに働いてもらう」であるのと同じように、筋肉を増やすコツも「筋肉に働いてもらう」として、”友達を連れてくるタネ銭”ならぬ”タネ筋”を作る感覚が有効ではないかということについて説明しました。
自己流によるムラや偏りを吸収できる若さ
上の記事では、一念発起して運動習慣を身につける時の注意として、自己流によるムラや偏りが起きてしまうことへの懸念についても触れました。
多少バランスに偏りのあるエクササイズだとしても、一般的な若い人なら、過度に強度なものでなければ、習慣化できる価値のほうが上回ることが多いと思う。
何よりも、少々のことは若さが吸収してくれるでしょうから。
一方、昔ほど無理が利かないので慎重なトレーニングが求められる中高年層は、しっかり様子見しながら、過度な無理や偏りの多いやり方は、できるだけ避けたほうがよい。
「指導なんて別にいらないよ」と一蹴できるのは何歳までか?
例えば私のような中高年が急に思い立って運動を始めようと思った時は、できればしっかりとしたトレーナーについてもらうのが良いと思います。
姿勢のクセや動きのクセを見極めてもらい、相応しいことを、相応しい順番で、適切な強度で行えるメニューを組んでもらうことは、思っている以上に価値があります。
若いときと同じように動くために必要な「年相応の身体への気づき」を教わる
私は少年時代からずっとスポーツを続けてきて、自分の身体の運動機能にはある程度自信があります。
だから、スポーツクラブでトレーナーの指導を受けている人を見ても「自分には無縁だ」と考えていました。
しかし、実際に受けてみて衝撃を受け、考えを改めました。
だいたい、ある程度の年齢がいってからのほうが、細かな動き方についての説明が、深い実感を伴って理解できる。
本格的なアスリートなら若いときからの指導は重要ですが、とかく一般人はそこまで必要と考える人は少ないでしょう。
ですが一般人においては、歳を取ってから受ける運動指導は、お金を出した以上の効果が得られるのではないかと思います。
『やめグセ』が付くのを避けたい?
実は、避けるべきはやめぐせ・・・ではないと思います。
見直しや方向転換する時に、『自己否定』することこそ、やめグセのかげに隠れた敵です。
”急がば回れ”をトレーニングに適用する方法がわからない
急いで結果を出そうと焦るほど、慎重さは影を潜める。
すると若者でないと吸収できない「自己流のムラや偏り」などのムチャを重ねしまいがち。
そうなると、張り切った分だけ早々に体を痛め、早期の方向転換や中止を余儀なくされたりします。
結果、一念発起した数に相当する自己否定を繰り返すことになり、結局「私はトレーニングに向いていない」などといった残念な結論を導いてしまう。
中高年層のトレーニングにおける”急がば回れ”は、『自己流を手放す』ことだったりすると思います。
「まずは手軽なジョギング」は、想像以上に難易度が高い
「健康のために走ろう」と思いつく人は多いと思いますが、この”走る”という行為自体が、思っている以上にハードルが高いことが多い。
気持ちの問題もありますが、そのハードルはクリアしたものという前提で述べます。
体重の3倍の衝撃を数千~数万回受け止める足首、膝、腰、そしてそれらのバランス
せっかく気持ちの問題をクリアして、最大の難関を突破したことが主な原因となって、いきなりのジョギングはかえって逆効果な場合が考えられます。
歩いたときの衝撃は体重の1.5倍、走った時の衝撃は体重の3倍と言われます。
膝や足首の関節が弱い人だと、おのずと限界がある。
また、関節が弱くはないにしても、その強度に対して自分の体重が過大な場合は、いきなり走るのはやはり無理がある。
身体を俯瞰できる「歩く速さ」
やがてはジョギング可能な身体づくりが目標だとしても、まずは負担少なくエクササイズできる状態を作ったほうが早道でしょう。
「自重を前方に運ぶ」という括りで考えれば「まずは歩く」というところからスタートするのが”急がば回れ”に相当すると思います。
ウォーキングしながら身体の左右バランスを確かめ、自重を受け止める関節などの各部位の感覚をつかみ、直すべきクセや補強すべき弱点を見極める。
ウォーキングの場合、トレーナーはどうするか?
スポーツクラブでウォーキングのトレーナーを付けるのは難しいと思いますので、しっかりした整体院などで、自分の身体の状態に関するアドバイスを受けるのが効果的ではないかと思います。
私も、もう10数年のお付き合いになるカイロプラクティック院の院長に、左右バランスの具合をよく相談し、アドバイスを受けつつウォーキングしています。
「いきなりジョギング」は、『動き』に意識が向かない
体重の3倍の衝撃を受けるジョギングを続けるには、衝撃を受ける各部位や、衝撃を吸収する筋肉群の鍛錬が必要です。
そして、鍛錬する箇所を正確に見極めて、補強するプランを作らねばなりません。
繰り返しますが、勢いでやっても身体が吸収してくれる”若さ”は、中高年以降の我々にはありません。
慎重に実施する必要があります。
『バテないように』が第一目標になってしまう「いきなりジョギング」
心肺機能が強化されるまでは、走りだしてすぐに心肺機能との相談が始まってしまうので、動作の一つ一つを観察するプロセスが、どうしても無視されてしまいます
それでも、どうしてもウォーキングは嫌で、とにかく走りたい人もいるでしょう。
その場合も、「疲れるまでやる」のではなく「ポイントになる部位が使えている」ことが実感できることを目的としてはいかがでしょうか。
要はコントロール可能になっていることが大切で、その条件がクリアできれば、どのくらいトレーニングをするかを自分で判断できるようになると思うのです。
これは有酸素運動だけでなく、筋力トレーニングも同じと私は考えていて、可動回数や体勢維持の時間にこだわってしまうと、最も必要な自己調整の能力をスポイルしてしまうことになる 気がしてならないのです。
慣れない人がいきなり走ると、心肺機能の状態に意識が向きすぎて、自分の体がうまく使えているかどうかという自己調整の能力をスポイルしがちなのと同じです。
「身体は老体、精神は子供」にならないように
ただでさえ運動不足の中高年が、自己調整不全の問題を未解決のまま、いきなりジョギングから始めようとするケースは非常に多い。
順序無視の無謀さに、身体が激しく上げる悲鳴に仰天し、トレーニングの意志を手放してしまう。
そうして、より一層運動を敬遠する悪循環が大きく口を開けて待ち構えている。
最初から負ける戦いなのに、それが自分のためと信じ、かえって自己肯定感を否定してしまうのはもったいない。
いきなり走るのではなく、歩くことから始めれば良い。
いきなり高負荷の自己流でなく、トレーナーについてもらえばよい。
もう少し突っ込んで言うと、スポーツクラブ入会時には、ガイダンスの指導が終わり次第、パーソナルトレーニングのようなコースを受講することがおススメかもしれません。
モチベーションが上がった状態の時にしっかりお金をかけて運動習慣を自分のものにするのが、運動習慣における最大のコストパフォーマンスになると思うのですがいかがでしょうか。