【感情会計】善意と悪意のバランスシート

善と悪の差し引き感情=幸福度

【自宅療養】素人が容態を判断するのも「自己責任」

政府や行政が呼びかける個人のコロナ対応の誘導を無視した結果、ようやく【医療のレール】に乗れることになった私。

 

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やはり、医療に従事する現場で戦う人たちは、人の命を救う使命感や矜持、そして現実対応の行動習慣を持っているという点で、”国民の安全安心に責任を持っているはずの政治家”たちよりもずっと信用できる。

 

『ア・ン・ゼ・ン、ア・ン・シ・ン』
と字面を音声発信していた、てんで役に立たないペッパー総理や、ペッパーを操作しているボンクラの自称エリートたちとは比べ物にならない有能さです。

 

おまけに、これからしばらく自民党はコロナどころではないはず。

 

もしも党員の中の心ある人が、日本全国で連日発表される多数の感染者に加え、検査を受けられずにいる発症者を生み続けている現状に対応しようなどと声をかけてきたら、

「おまえ正気か? この大事なときに『国民の命』とかムダな事考えてられるか! ちょっとは頭使え! 空気読めバカ!」

という気分が横行していかねない。

 

適切な医療が受けられない。政府がジャマばかりする

思えば、昨年春に志村けんさんや岡江久美子さん、その他にも「発熱4日以上」の基準によって命を落とした人たちは、『適切な医療を阻まれた犠牲者』

 

これが約1年後の現在は『直接阻まれはしないが適切な医療を受けられなくされた犠牲者』に姿を変えて続行中のようです。

 

適切な医療が受けられない理由の中でも、最もわかりやすいのは「感染者が増えたこと」です。

とにかく五輪にこだわりすぎて、国外からの受け入れを緩め続けたり、国内の人流を増やし続けたりしたことが、その最大要因でしょう。

 

しかも、菅義偉はこれを完全に、恣意的にやっている。

 

立て続けの失策による支持率の低下を帳消しにする期待をかけられるほど、五輪好きな人が多いことを計算に入れていたのなら、いざ開催すれば熱狂的に動く人が出るくらい、小学生でも想像がつく。

 

そして、ある行動が同種の行動に至る道を作ってしまう心理も同様。

 

「五輪で動いたのだから、フェスとか繁華街も抵抗がなくなった」となる人が多発することぐらい、これも小学生だって用意に想像できるレベル。

 

政治家や組織委員会等関係者が「小学生でもとは失礼な。我々だって想像力くらいある!」と言うなら、意図的に医療逼迫を起こして死者を増やすための積極策を採ったことになる。

 

そんな理屈が成立してしまうので、連中はあくまでも「五輪と感染拡大は無関係」を繰り返すことになるが、この点の間違いを認めないかぎり、自民党のアタマが誰に変わろうが、そいつが旗を振るコロナ対策はまず計画通りの成功が見込めない。

 

保健所からの連絡は初日のみ

PCR検査で陽性の判定をされた私のもとに、翌日保健所から電話がかかってきました。

自宅療養による行動制限の期日を説明されるとともに、食料送付の希望はあるかとのことで、私はそれを依頼しました。

 

以前、「世相のうっぷん晴らしチャンネル」の世相さんの話で、陽性判定後は1日2回の経過観察で保健所から連絡があったとのことでした。

www.youtube.com

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私がLINEを使えないこととも関係があるのかもしれませんが、最初の聞き取り以降は保健所からの連絡はなかった。

 

行動制限である20日になっても熱が下がらなかったので、自宅療養者用として教わった電話番号へ、これまたコンサートチケットの予約のように立て続けにかけまくり、ようやくつながって現在の容態を説明し、療養期間は更に伸びることになるのですが、ここでも心配なことが起きます。

 

容態の判断は「自己責任」

その前に、PCR検査を受けたクリニックでもらった5日分の薬がなくなりかけるとともに、最初はなかった咳の症状が出始めたため、18日の時点でクリニックへ電話し、電話診療で処方を受けています。

 

容態については、素人である私の自己責任……じゃなかった自己申告しかありません。

 

当然、見落としや誤解が混ざったり、このあと起きそうな容態変化の予兆を想定して先手を打つなんてできるわけがない。

 

すべては菅政権と同じで『起きてしまってから』の後手々々な薄っぺらい素人対応しかない。

 

”自宅療養”などとオブラートにくるんでいるが、菅政権が示した方針とはかなりの危険が伴う措置……事実上は”措置”でなく【放置】と言える所以がここにもある。

 

パルスオキシメーターは「苦しくなったら連絡してください。その時点で貸出しの判断をします」
→つまり届くのは「助けを求めるほど苦しくなった数日後」

20日に保健所との通信に成功した私。

前回話したときにはなかった咳の症状が出始めていたため、念のためパルスオキシメーターを貸してほしいとお願いし、断られました。

 

これもニュースになりましたが、行政の対応としてパルスオキシメーターの貸与は行なっているものの、数が足りないので貸し出せないという実態があり、私はその洗礼を受けたことになります。

 

「苦しくなったら連絡してもらえますか? 貸出しについてはそのときに判断します」

 

私は、対応してくれた保健所の担当者のことは悪く思わない。

感染者に対し、こう伝える以外に、この人達ができることはない。

保健所の担当者のせいではない。

 

ついでに言えば、保健所からの最初の電話の際「施設療養を希望しますか?」と質問され、私は「しない」と答えた。

 

容態が悪い中、”施設療養”という内容不明な環境に、いきなり我が身を突っ込むのはあまりにもリスキーに思えたためです。

 

そこへ身を移すのにどんな準備が必要か?とか、新環境へ移ってそこでの生活に合わせるツラさとかを考えると、初期時点の容態しか判断材料がない時点では、住み慣れた自宅のほうが便利としか考えられない。

 

医療逼迫を起こし、感染者に「賭け」の自己責任を負わせた菅政権(自民党)

なにせ医療体制逼迫による対応の柔軟さが失われているせいで、容態変化の読みはまさに”賭け事”

 

知らない環境でストレスを受けつつ「あ、そう言えばあれ持ってきてない。ここには〇〇がないけど代用はどうする? 我慢するしかないかな?」などと気をもむリスクを取ってでも療養施設へ入るか、自己免疫が勝ると信じ、その布石として慣れた環境で過ごすか、その判断も「自己責任」で、私は後者を選択した。

 

そういう意味では、保健所のパルスオキシメーターに関する説明に対し、すべて保健所が悪いとは言えない布石は打たれている。

 

それに、何度も繰り返すが

「前線で感染者対応をしている保健所の担当者に、”インフラが不十分なことによる粗末な対応”の責任はない」

 

対症療法しかないから容態の申告は自己責任! ってことで本当に良いのか?

「苦しくなったら改めてパルスオキシメーター貸与の相談をしてください」という、それこそ苦しい保健所の内情による言い分について、少なくとも担当者を責める気はない。

 

ただ、私の側でも声にしたいことはある。

私は、『血中酸素濃度が落ちたときの苦しさ』というものを知らない。

 

「苦しくなったらまた電話してください」の”苦しくなったら”を、素人の私はどう判断すればよいのか?

 

素人が容態悪化を感じてから連絡したのでは手遅れではないだろうか?

 

それに、コンサートチケットの予約ばりに電話して「苦しい」と伝え、パルスが届くまでにさらに数日かかる。

 

自宅に届いた頃には、せっかくのパルスに数値が表示されない体になっていることも大いに有り得る。

 

なんといってもコロナは肺炎だから、呼吸器系の異常が生じた後の進行の緩急など、誰にも予測できないはず。

 

転ばぬ先の杖として、『自宅療養』などというからには最低限その程度の機材提供は必須だと思うのですがどうでしょう?

 

結局のところ、感染拡大を甘く見て物資や病床、流通や通信(COCOA等)の整備を充実させなかったうえ、むしろ感染拡大を煽るイベント(GOTOや五輪、政治家の会食)を実施したことで、需要と供給のバランスを致命的に悪化させた。

 

総裁選のための策略で右往左往とか、ふざけるなよ

自宅療養時の死者以外に、感染者認定すらされないまま死んでる人間だって居ると思うんだ。

志村さんや岡江さんもそうだったわけだけれど、あの頃より桁違いに多い犠牲者予備群が居る今、せめて国会ぐらい開け