【感情会計】善意と悪意のバランスシート

善と悪の差し引き感情=幸福度

【自宅療養】発作が起きても「自助」でなんとかするしかない(前)

前の記事で「インフルエンザなどで高熱が出始めてピークに達するまでの、強い頭部不快感」について念入りに触れ、今回のコロナではそれが『熱が下がってから』起きたと書きました。

 

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少々しつこいですが、強調したかったのは以下の2点です。

◎脳自体が危機(急激な温度上昇)を自己主張した場合の体の反応はキツい

◎「普通なら起きないこと」が起きているのだと、電話で他人に理解させる難易度の高さ

 

 

一般人が自分に起きた異常を『発作』と判断するのは困難

 

強烈な症状(頭部不快感)は、午後の早い時間から出ました。

 

不快感自体は、味覚と嗅覚の異常が出て2〜3日後にははっきりと自覚していましたが、約1週間後から一挙に跳ね上がったのです。

 

苦しみながら夜を迎え、深夜に及んでも一向におさまらず、その時点ではとっくに流動食化していた食事すら摂れず、それどころか水分さえ摂れない。

 

まあ、ここまでは、インフルなどで発熱したときと同じでしょう。

体温が激しく上昇している間は、普通は飲食できないですよね。

 

しかし今回の場合、頭部不快感の症状が治まるきっかけである”体温の安定”という条件は、最初から満たされている。

 

どうなれば治まる・・というか、せめて和らぐかが、全くわからない。

とにかく、猛烈な症状が猛威を振るい続ける。

 

 

眠ったというか・・力尽きて意識を手放す

とうとう日付をまたぎ、私は横倒しに倒れたまま荒い息を付き、その間にはうめき声を上げる。

 

時刻は深夜であり、睡眠の時間でもあるせいか、時々意識が途切れる。

 

しかし、”脳が不安定”という理由だろうか。眠ったままの状態が許されるのはわずかな時間しかなく、すぐに覚醒する。

 

覚醒と同時に強烈な苦しみに見舞われる。

「意識の覚醒」に対し、「苦しみ」がフライング気味に覆いかぶさってくる。

 

咳が激しいときに「自分の咳で目が覚める」ということがあるが、『咳』が『苦しみ』に入れ替わったようなものだ。

 

そしてまた意識が途切れ、すぐに覚醒し・・の連続で、未明にようやく数時間の睡眠ができた。

 

元々あった症状が激烈になっても、一般人はそれを「発作」とは判断しづらい

朝になっても「猛烈じゃない」だけで、強い不快感は持続し、起き上がるのもしんどい。

 

相変わらず何も口にできない。

 

そして、その平穏(とは言い難いが)は数時間後に破られ、また翌未明まで脳内に猛烈な嵐が吹き荒れる・・

 

これは、あとになって考えれば『発作』と言っても間違いではないのではと思えます。

 

これは、症状としては継続する流れの中で起きた。

医療の門外漢である一般人としては、「耐えているうちに和らぐだろう」と判断しても不思議はありません。

 

それに、どのみち「コロナによる自宅療養」なので、自分で医療機関へ行く選択肢は無いし、呼んだって来ないだろうという諦めや失望感の中にいます。

 

ちなみに「失望」とは「望みを失う」です。

適切な医療を受けられる望みは、この状況に至るまでの間に散々思い知らされている。

 

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仮に「発作」を見破っても、【自宅療養】ではどうにもならない

私は激しい症状の中にあり余裕がなく、ゆえに考えが及ばなかったのですが、おそらくは発作が起きたときの措置をとるのが正解だったのでしょう。

 

いや、実際にはその考えも正しいかどうかはわかりません。

なんといってもシロウトだから。

 

でも、体調判断や医療措置に関する大半のことを、シロウトである患者自身が自己判断し、自分で対処しなければならない環境が【自宅療養】です。

 

ゆえに、私の判断に誤りがあったとしても、それを激しく責めるようなことは、「軽症者は自宅療養」の決定をした政府を責めることになる。

 

だから、この後の私の思考についても、「そのときシロウトにできる体調変化の予測やその対応策」がすべてを左右するので、やはり誰からも指弾されるいわれはない。

 

自宅療養で切羽詰まったときの素人判断には、当然、とんでもないものもある

2日目の発作の時、私は「これ以上長く続くと『狂い死に』の危険もあるな」と、自分の頭の中の、かろうじて冷静な部分で思うようになりました。

 

特に、ベランダから飛び降りてしまう衝動に注意しました。

あまりにもリアル感がありすぎて、その想像にゾッとしたほどです。

 

もしも入院していたなら、この状態なら迷いなくナースコールです。

「ベランダから飛んじゃうかも」なんて考える危険な誘惑など、1ミリも入る隙間はない。

 

看護師に症状を訴え、その後やってくるであろう医師は、望見と問診の結果、鎮静作用を持つ薬剤投与を行なってくれるのではないかと思う。

 

しかし、以前の記事にも書きましたが「療養中に他の病気や怪我は、絶対にやばい」

 

怪我や別の病気に罹っても、もれなくコロナ患者の扱いなので、普段なら当たり前にできる医療機関へのアプローチはできない。

 

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私に起きた異変は、間違いなく『呼吸器の異常』ではない。

「だからコロナの症状とは別」と判断されてもおかしくない。

 

助けが呼べない、呼んでも助けは来ないのなら、救いはきっとベランダの向こうにあると確信し、その衝動が勝るのもきっと『自己責任』なのだろう。

 

発作時の「助けてくれ!」は『相談』じゃない

仮に私が助けを求めて保健所に電話しても、またコンサートチケットの予約状態になって、なかなかつながらないことでしょう。

 

そして、ようやく通話できた相手に、前回記事で拙い説明となった「通常は高熱を発している最中に、痛みや悪寒の影に隠れて猛威を振るう頭部不快感」が起きていることを伝える。

 

しかも、体温は平熱・・

 

この時には咳の症状も出ている頃で、ただでさえ喋りづらいというのに、さらに狂死の危険を感じるほど酷いコンディションにある私の主張は、どこまで理解されるか?

 

この絶望感を表現したくて、前回、前々回の記事を書きました。

 

以下の記事を読み「分かりづらい」「何言いたいのかわからん」と思ってもらえるほうが、逆に私の伝えたい想いが伝わると思います。

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次回へ続く