味覚と嗅覚がほぼ失われた状態では、どうしても食が進みません。
『食』とは「食べた分量」だけでなく「味わった実感の蓄積」も加わって満足感が得られるのではないかと思うようになりました。
(血糖値の理屈はあえて無視で)
そして「味わった実感の蓄積」が確認できない状態だと、食べる分量の調整が難しいことに、今回はじめて気づきました。
「味がしないのに、これ以上食べ続けていてどうするのか?」と思えたりして、早々に食べるのをやめてしまうことがある。
「健康のためにこれぐらい食べるのが適当」というのは、健康体のときの話でしょうから、病中、又は後遺症が濃厚に残る病後の時点で適用されるものとは思えない。
特に、私のようにほぼ絶食状態が続いていた場合は特にそうでしょう。
ファスティングの回復期のように、休止状態だった内臓には、いきなり負担をかける摂食は避けなければダメージを受けてしまう。
健康体の理屈は通用しない。
とにかく、今回のコロナの症状の中では、現在も残る味覚と嗅覚の異常がいつまで続くのだろうかと、回復を心待ちにしています。
猛暑の中で「水分も含め、何も口にしたくないほどの不快感」は結構危険だった
実は、自宅療養期間に物が食べられなかった最大の原因は、頭の中の猛烈な不快感です。
明らかに消化器官系の異常が原因のムカツキではなく、脳そのものの異常事態が原因と思われるものでした。
食べ物を見るだけで胃液がこみ上げてきそうなムカムカを引き起こすだけでなく、食べ物のことを考えただけでも「ウゲッ」となるほど強烈なものでした。
食べ物だけでなく、水やお茶、スポーツドリンクなども気持ち悪く「飲む」というより「流し込む」という感じでした。
いや、もっと正確に言えば「鉢植えの土が乾いてきたから水をまく」といったイメージの水分摂取です。
保健所の担当者から「1日にどれくらい水分を摂っていますか?」と聞かれると「大体、1リットルくらいです」と答えていました。
たしかに『注いだ量』はそのくらいだったかもしれませんが、何も口に入れたくない状態がずっと続いていて、『飲むこと』に関して極めて消極的なときなので、半分近くは残していた。
事実上は「1日に600〜700cc」がいいところだったと思います。
結局、私の申告はひどくいい加減なもので、熱中症の救急搬送が多発していたあの時期としては、結構危なかったかもしれません。
怪我や併発の病気が怖かった
コロナによる自宅療養のときに気をつけなければいけないのは、治療を要する別な要素が発生することで、もしもそうなってしまうと厄介では済まされないことになります。
熱中症もそうですが、フラついて家具などに足の指をぶつけて骨折なんてのも、十分に起こりうることです。
また、扉の把手を握って引き開けた手の動作と、足の踏み出しタイミングに錯誤を起こし、開ききっていない状態の扉を蹴り込んでしまうことなんかにも、私は特に注意していました。
意図的にそのたぐいの錯誤を避けていたくらいです。
もしも発症してしまった場合は、生活動線についても十分に注意しましょう。