バカッターという言葉を初めて見たのは今からちょうど10年前。
「今日暑くね?」というコメントと共に、アルバイト先の冷蔵庫に入る姿をツイッターに上げた若者が炎上した、あの騒動です。
それからは「バイトテロ」などと言われながら同様のSNSが現れて時を経て、いまや一般国民のバカッターが飽和状態になったのか、上級国民にまでバカッターは普及し始めたかのよう。
坊ちゃんの公邸忘年会のバカッターが、2か月前にも満たない頃に大騒ぎになったばかりだというのに、今度は7月の終わりにニョッキがそれを繰り返す。
ニョッキはSNSを使いこなしていたから、坊ちゃんのバカッター騒ぎを知らなかったわけではないだろう。
なら、なぜ、同じことをやった?
記憶力が無い・・とか?
そんなことはあるまい。
試験成績の良いエリートのキャリア官僚あがりが、記憶力が無いことはあり得ない。
では、なぜ?
実は、「バイトテロ」などと評されてしまう下層民の行為の中に、その答えはあると思う。
仲間はずれにされた人間には「バカッター」に見える大はしゃぎ
バカッターをやって、職場に甚大な迷惑をかけた面々の口からよく聞かれる言葉として
「仲間にウケると思ったから」
というものがある。
要は『世間』というものが、彼らなりの認識によれば、彼らを知り、彼らを好意的に受け入れている『仲間』だけ、というところで彼らの世界線が構成されていることによる。
彼らにとって日常的に接する『仲間』だけが世界のすべてで、それ以外の人々は眼中にないという、非常に狭い世界観のまま社会生活を行っていた。
その世界観の中では、バカッターに相当するSNSを上げたところで「ウケて終わり」のはずだった。
しかし、日本だけでも1億人以上いるという現実を、彼らはバカッターを上げた後で知ることになる。
とはいえ、一般国民の彼らにとっては、自分の仲間ぐらいのところまでが世間で、仲間たちが楽しく幸せに暮らせれば良いといった程度でOKともいえる。
やった行為は彼らの『仲間』達以外の人に迷惑をかけるものであったために世間から裁かれることになったが、もとよりそんなに高い志を持って社会に臨むようなカッコもつけていない点で、まだマシだということもできる。
しかし、国会議員ともあろうものが、彼女らにとって日常的に接する『仲間』だけが世界のすべて、という観点で安易にSNS投稿するという感覚が、私には恐ろしい。
当然彼女らは、自分の発信が受け入れられる(というかウケる)と思ったのだろう。
「スゴーい!」「キレーい!」「おいしそー!」
そんなことを言ってくれる信者と上級国民しか日本には居ないと思うからこそ、臆面もなくはしゃいだ姿を上げたように思われる。
しかし、私をはじめ下層民に属する人種が日本国には相当数いるはずだが、どうやら彼女らには認識できない存在らしい。
悲しい😢
これでも一生懸命税金を納めながら生きてるんだけどさ・・