「ファスティングをすると頭が冴える」
このようなコメントがよく聞かれるのですが、どうも私にはピンとこない。
絶食状態になって1日目は普段と変わらず、2日目以降は体内調整の影響によるものでしょうが、頭はずっとボンヤリしている。
私の知人女性は大学時代に2週間か3週間の断食を実施して、その間にレポートを書いたそうですが、長期間やれば「頭が冴える」の境地に達するのだろうか。
しかし、もっと短期間のファスティング実施者からも同じ感想が聞かれるので、必ずしも2週間や3週間が条件ではないことも確かでしょう。
ただ今回「オヤ?」と思うことがあった(というか今もある)
回復期に入って食事を摂り始めた以降のちょっとした違和感・・
「帰りに〇〇へ寄って、☓☓を買って行かなくちゃ」
「出かける前に△△しておくんだったな」
この手のことをついうっかり忘れてしまうときの頭の中の風景を
”見なければならないメモ書きが、少し淀んだ水に浸かっている状態” だとします。
すると、その場所へ赴いて身をかがめ、水に手を突っ込んで持ち上げてみて、書かれていることを読み取る必要がある
(⇧⇧これは頭の中で行われるイメージ映像です)
「見なくちゃな」とは思っているものの、そこまでのアクションを求められるので、実際にそうすると意識のエネルギーを消費してしまう。
ゆえに無意識に優先順位を下げ、わざわざその場所へ行くことを合理的判断でやめてしまった結果が『あ、今日も忘れた』だったりすることも実際あると思うのです。
物忘れというより、エネルギーロスの回避とでもいうべきか・・
逆に、今回私が感じた違和感とは、いつもなら淀んだ水に使っているはずのメモ書きが、掲示板か何かに貼られていて、その場から一歩も動かずに一字一句読み取れるのに気付いた点です。
正直な感想としては「頭が冴えるって言っても、こんな程度かよ」というガッカリ感が漂う。
”頭が冴える” のワードが持つ効果のハードルが上がりすぎていることが原因でしょう。
私はたとえば、文章を書くときに筋書きがスラスラ組み立てられるとか、自分がやっているYouTubeで動画を撮るときのコンテンツや概要欄の制作が軽々と進むたぐいの ”冴え方” を希望していたのですが、それとは違うらしい。
とはいえど・・
思い出すべきときに、思い出すべきことを明確に認知できて即行動に移せるのは、日常生活の質を大いに上げる効果が高い。
たまたま今回は初のことで、この状態をうまく応用すればクリエイティブな頭の使い方においての冴えが期待できるかもしれない。
まずは、今のこの状態がいつまで続くのかの観察と、この状態の応用方法について色々と試してみることに注意を振り向けたいと思っています。