さて、間近に迫った東京都知事選。
私は4年前も、その前の8年前も、小池氏には投票していません。
小池氏が自民に対抗していた時期も、自民とズブズブになった時期も、一貫して「都民ファースト」を支持していない状態です。
マスコミ報道の手法も気に食わない。
早々に、勝手に候補者を絞り込んで「この中から選ぶしかない」みたいに持ち上げていくあのやり方は、どうにも虫が好かない。
今回も早速『小池vs蓮舫』にしてしまっているし・・
ただし、今は日本から自民色をできる限り消し去ってしまわなければならない切羽詰まった状況ゆえ、非自民を色濃く打ち出す蓮舫氏の存在が大きいことは疑えない。
蓮舫個人の意思とか細かな政治姿勢よりも、自民に与する政治家を排除する動きが、いくつかの地方選挙で如実に顕れているのは無視できない流れです。
そんな中、数々の政治通には一蹴される存在ながら、安芸高田市長からの転身を試みる石丸伸二氏の存在は、”あるモノ” を想起させて興味深い。
”あるモノ” とは、かつて小泉純一郎元総理がやった『無党派層への希求』です。
私は以前から、石丸氏が維新のポスターに載る姿を度々思い浮かべてしまい、彼が本格的に政界進出するときは、維新で出てくるのではと考えて警戒していたが、今回維新からの協力申し出を容赦なく袖にした一件で少し見方が変わりました。
支持政党を持たない無党派層の圧倒的な多さは誰もが知るところですが、小泉元総理は自民党傍流だった清和会が、本流である経世会と宏池会に対抗するために、この無党派層を積極的に取り込んだ。
そのやり方は、これも誰もが知る『劇場型』
似たような手法を小池氏も用いるけれど、あれは端的なフレーズとかビジュアルが特徴で、皆が口の端に乗せやすい言葉なのは確かですが、さすがに『劇場型のドラマ』とまでは言い難い気がします。
安芸高田の一連の事共が、きわめて感情移入しやすい長めのドラマだったことを考えると、自民党をガラリと変えてしまった小泉元総理が推進した劇場型を、石丸氏はすでに手掛け、安芸高田に全く無関係な多数の人を取り込んでいる点は面白い。
『小池vs蓮舫』というマスコミお手製の古臭い ”劇場” に対する小泉的メイクドラマ(これだって古いけれど)は、下馬評と現実を並べて事態の推移を見守る楽しみも提供してくれそうです。
だが、今もっとも重要なのは自民勢力下にあるような政治家を落としてゆくことであって、そのために確実な選択をしたい。
そう考えると「蓮舫」は用途に最適な存在ではある。
しかし、他にも候補はたくさんいるし、まだこれから一波乱、二波乱くらいはあることでしょうから、よくよく見定めて一票を投じる先を決めていこうと思います。