【感情会計】善意と悪意のバランスシート

善と悪の差し引き感情=幸福度

「スピード感」の ”感” とは、単位時間内に相手の頭に送り込めた情報量に比して得られる ”印象”

読む気にならない長めのタイトルは置いといて・・

 

映画やドラマDVDの特典映像コンテンツの中でも「コメンタリー」が一番好き。

 

作品を流しつつ、作り手の方々がそのシーンの作成過程や裏話などをしている音声が聞ける、ひと粒で二度おいしい楽しみ方です。

 

 

「コメンタリー」という教科書

20年以上前のことですが『踊る大捜査線THE MOVIE』のDVDを買って、初めてコメンタリーという存在を知りました。


踊る大捜査線 THE MOVIE

 

それまでといえば、「好きだったドラマの裏側を楽しむ」といったらなんといっても ”NG集” がダントツでした。

 

古くはドラマ『ねらわれた学園』(原田知世主演)の最終回翌週に放映されたNG集を筆頭に「これを続けてほしい!」と切に願うほど、私はこういった制作の裏話的なコンテンツが大好きです。⇩⇩⇩ドラマ主題歌です。


ときめきのアクシデント [EPレコード 7inch]

 

いや、この話を続けるのが目的ではないのでこの辺にしますが、とにかく『踊る大捜査線THE MOVIE』のコメンタリーで語られた事柄のうち、一つの概念がとても心に残ったので、それについて話を広げてみます。

 

「カット数」がスピード感を生み出す、という答え

たしか本広克行監督のコメントだったと思いますが
「今後の作品では、もっとスピード感が上がる。カット数も増えていくと思うし」
というのがどうにも引っかかった。

 

言い換えれば『カット数が増える = スピード感が増す』です。

 

最初に聞いたときは全く意味が分からなかったのに、なぜかスルーできず頭の中で反芻し続け、やがてその効果の凄さが理解できるようになりました。

 

プロなら当たり前のことなのでしょうが、作り手の感覚ってそういうものなんだなと、深い納得感をおぼえました。

 

『カット数が増える = スピード感が増す』


さらに言い換えると


『スピード感 = 情報量 = 物語の時間経過』

 

単位時間あたりに視聴者の頭に送り込めた情報量が多いほど、視聴者にとってはそれが ”スピード” と認識されるという理解で大体合っているかなと思っています。

 

”物量” じゃなく "情報量" がカギになる

たとえば、『踊る〜 MOVIE』で言えば、副総監誘拐事件を公開捜査に切り替えて、捜査陣が盛大に出動する転換シーンがあります。


大量のパトカーが走っているのはもちろん、ヘリコプター、特殊部隊、駆け回る多数の内勤警官など、まさに総力を上げて警察が動き始めたことが、強い説得力を持って表現されています。

 

が、このシーン自体はおそらく10秒前後といったところでしょう。

 

この尺を長くとっても逆に間延びするのでコンパクトにまとめる、、、というか、まとめるかどうかはともかく、時間尺が限られているので、その中で最良の方法を考えろ、というのが至上課題なのかなと思います。

 

『踊る』だとそんな具合ですが、では往年の名作『特捜最前線』や『太陽にほえろ!』の時代ならば、大部隊出動の表現はどんな感じになるか想像してみましょう。


特捜最前線 スペシャル

 

これはあくまでも想像ですが、決められた尺の長さで「この捜査に総力を結集した」を表現するシーンとして、こんな感じの演出を多く見た気がします。


①坂の下から夕陽バックで頂上付近を定点で捉え、何も無い道路を映し出す


②道路の中央に1台のパトカーが、ややスロー気味に頭を出す(坂の頂点の向こう側から登って来た感じで)


③中央のパトカーに従えられるように、やや斜め左右に2台のパトカー登場。先頭車とともに、ゆっくりとこちら側に進んでくる


④さらにその後方に数台が展開。鋒矢の陣のような全体像が視認できる


⑤坂を下りつつ、整然とカメラ側へ迫ってくる数十台のパトカー

 

・・のように、ワンカメで捉えた一地点において、時間差を用いて物量を表現し、視聴者の頭に送り込んでいたでしょう。


たしかに物量のほどは伝わってきますが、「単位時間内での情報量」としては相応の分量といった感じです。見ている側の感覚との間にズレがないというか・・

 

これだと、おそらくパトカー100台体制でも、物量は感じられてもおそらく ”スピード感” という印象は受けないと思います。

 

『踊る』だと、パトカーが連なるカットは早々に終わり、あとは1秒にも満たない一瞬のカットで矢継ぎ早にヘリや特殊部隊などの映像を差し込んできます。

 

それを見たこちらが、各所で同時多発的に起きるそれぞれの景色やシーンを、言葉が追いつかない速度で想像し、それゆえにいずれも完結させられないので、末が広がったまとまりのつかない状態で垂れ流さざるを得ない。

となれば、映像はきっかけに過ぎず、膨大な情報量は見ている側で作り出していて、処理が追いつかないほどなので「スピード」と言われると納得してしまう。

 

「なるほど、こうやって『スピード感』を作るのだな」

と、妙に合点がいったことを思い出します。

 

ミュージックビデオなんかも、曲の長さ分しか時間の尺がないのに、終了時にはまるで1編の映画を見終わったような気持ちになるのは、やはりカットの使い方の妙も一助になっているのだろうなと、作り手の技に感心せざるを得ない。