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街道の茶屋で「もち」を食べるシーンが好き

小学生のころ時代劇好きだった私が、劇中でおなじみだった「茶店」

(wikiでは「茶屋」となっていますが、時代劇では「茶店(ちゃみせ)」と呼ばれることが多かったように思います)

 

うっかり八兵衛が街道でこれを見つけるたびに「ご隠居~、寄っていきましょうよ~」と言いながら列を離れて近寄っていく憩いの場所。

 

当時の記憶では八兵衛はよくダンゴを食べていた印象ですが、とにかく「茶店」というものの佇まいがやけに気になりました。

(ちなみに、↓この高橋元太郎さん、良い表情しています。ダンゴを手にした嬉しそうな笑顔のフィギア写真を見たときは、こちらも思わず笑ってしまいました)

 


絶版品★うっかり八兵衛★高橋元太郎★

 

中学校の修学旅行で京都の嵯峨野へ行き、お寺の階段下に、時代劇で見たのとそっくりな茶店を見つけた時、私はしばらく目が離せませんでした。

 

(あそこに入って、お茶とおダンゴを・・)

 

しかし、中学の修学旅行ではそんな自由もなく、青蓮院の大広間に同級生300人近くが並んで抹茶を飲んだ以外の記憶と言えば「嵯峨野の茶店」のことしかありません。

 

初の茶店体験は「ダンゴ」じゃなく「わらびもち」

それから数年後、友人と私的に嵯峨野を訪れ、とうとう念願の茶店に入って注文したのは「わらびもち」

なぜダンゴじゃなかったのかは謎ですが、このわらびもちの美味しさが素晴らしかった。

 

私の頭はこの体験によって上書きされ「茶店で食べるのは餅」ということになりました。

 

そして、その定義のまま数年後に司馬遼太郎さんの作品群に出会い、幕末の英雄たちが茶店で餅を食べるシーンに出くわすことになります。


ビリー 手作りドールハウスキット 茅葺きハウスキット 茶店 8441

 

最初のうちこそ何気なく読んでいたのですが、ふと「この餅は、どんな調理で供されているのだろう?」と思い始めました。

 

嵯峨野の茶店での経験により「屋外で餅を食べる」ということに関心のあった私は、石井スポーツなど登山用品の店に行って「水もどし餅」を買って食べてみたりしたのですが、それよりはしっかりとボリュームがあったように思う。

 


水もどり餅セット

 

しかし、毎日どのくらいのもち米を蒸していたのだろうか?

営業時間がどれくらいだったのかは不明ですが、当時は餅を昼食にする旅人が多かったようですから、主にその時間帯の来店者に合わせて量を決めていたような気がする。

 

とはいえ、街道を通る人の数は日によって違うだろうし、皆が皆、茶店で餅を食べるとは限らないから、単純に通行量だけで消費量が決まるものではないはずです。

多すぎたら余ってしまうだろうし、少なすぎたら早めに品切れになってしまいます。

 

思ったより利用者が多いことに慌てて追加で用意しようとしたって、そんなに簡単にはできません。

蒸すのに要する時間は20~30分程度でしょうが、浸水に時間がかかるので、通りすがりの旅人はそれを待てないでしょう。

だからといって、大量のもち米を浸水させて、急な需要増に備えようとすると、使わなかった米が水を吸い過ぎてしまってよくないはず。

 

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t************************pさんによる写真ACからの写真

 

在庫の調達や管理、売れ行き見込みと調理のタイミングなどは、どう計っていたのだろうか?

それに、餅を単体で提供していたかどうか?

あつまれ 街道の茶屋

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HiCさんによる写真ACからの写真

 

安倍川もちだと、きな粉を砂金に見立てて徳川家康に献上したという伝承がありますので、江戸期には存在していたことが分かっており、茶店で提供されていた可能性がありますが、これは餅にきな粉や砂糖(白砂糖が使われ評判だったらしい)がまぶされています。

餅を餡でくるんだ赤福も、その歴史は1707年までさかのぼるとされています。

 

ということは、江戸時代から各地にあった茶店の餅は、その土地によって供されていた内容も様々だった可能性が高く、旅人は「もち」と注文するが、出てくるものはビジュアルからしてすでに別物だったと思われるのですが、さすがの司馬さんも茶店側を主体に描いてはいないので、このへんはシンプルにスルーされています。

 

たぶん、そんなことを気にしながら読んでいたのは私くらいかもしれません。

 

『世に住む日日』の中で、雨の中歩きながら餅を食べる吉田松陰が、頭に被った雨笠の端から滴り落ちる水のおかげで、お茶がなくても餅が喉を通りやすい旨の描写があったりすると、この時の餅は赤福ではないだろうと想像してしまいます。

 

また、『花神』で村田蔵六が茶店の奥に向かって「もち」とだけ伝えたところ、助産のため訪れていたシーボルト・イネが店主に代わって皿にのせた餅を提供するシーンを見ると、簡単に取り分けて出せるように、裏には広めの台とか棚があって、丸めた餅が並べられているのだろうなと、店舗のバックヤードスペースに思考が飛んでしまったりもします。

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n******************mさんによる写真ACからの写真

 

とにかく作中に餅が登場すると、そのサブストーリーが頭の中に展開し、そこが掘り下げられていない分だけ逆にあれこれと考えてしまう。

 

時代小説を読む際、衣装や調度品が気になる人も多いでしょうし、通貨や金利に関心を持つ人も多いと思います。

その他にも、生活文化や学問教養、自治や施政を研究するなど、主体となる筋書き以外の点を掘り下げる楽しみ方は人それぞれだと思いますが、私の場合はなぜか「もち」なのです。

これなら、難しい時代考証みたいなものではなく、身近な感覚で自由に想像して楽しめますからね。

 

さて、かしわ餅の時期ですね。

馴染みの和菓子屋さんが頑張っているので、応援したいです。

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LEENDE@さんによる写真ACからの写真