【感情会計】善意と悪意のバランスシート

善と悪の差し引き感情=幸福度

孤独なグルメ『蘇る金狼』⑮~横須賀/酒五郷(五合)とAU DEEMNの深い深い郷愁

物語の15日目 11月23日(水)勤労感謝の日

朝倉哲也の勤める東和油脂も、今日はお休みです。

PM7:00頃、朝倉は夜の横須賀に居ます。

 

何をしに来たか?

彼はおでんを食べに来た、と私は思っている。

 

朝倉は久里浜街道を横切って、賑やかな三笠通りの商店街に出た

とあります。

 

私は土地勘が無いのでわかりませんし、昭和41年当時の三笠通りの殷賑ぶりも想像するしかありませんが、昔ながらのお店が立ち並ぶ、風情溢れる、人情が厚そうな古き良き時代の象徴のような景色だったことは否めません。

 

今日の朝倉君は、ここで夕飯を喫します。

 

 

おでんを旨く食べるには・・

昨日、ホルモン焼き(おそらく一部は生食)5人前を平らげた後、およそ3時間後には鶏の丸焼き3羽を食した朝倉。

 

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さすがに喰らった肉の量が多すぎたと考えたのかもしれません(それはないか・・)。

彼の心境は定かではありませんが、この日の夕食はなんと、おでんです。

 

大衆的なオデン屋で五合の酒と三百円分のオデンを平らげ

と書き記されています。

 

「おでん」じゃなくわざわざ『オデン』

ここで私が最も気になったのは『オデン』という表記です。

なぜ、こんなユーモラスな横文字風にしたのか?

 

せっかく ”大衆的な店” と評しているのに、『オデン』だと違和感がある。

この当時はそんな字面で表現されていたのだろうか?

 

それとも『おでん』だとハードボイルド風じゃないと却下したのでしょうか?

 

たしかに大藪春彦的な美意識なら、柔らかで丸みを帯びた平仮名じゃなく、カクカクしたカタカナを選ぶのもわかる気がします。

 

いっそ、カクカクを極めて万葉仮名で『於出无』とかはどうでしょう。

ハードボイルドも『波我斗煩射琉斗』とか・・

 

いや、すでに大藪先生はここでは『オデン』と決めている。

カタカナは横文字の表れと解釈し、外国語に脳内変換しましょう。

 

ちょっとフランス風に寄せて『AU  DEEMN(オ・デーン)』からの『オデン』であると仮定し、ここは読み進めることにします。

 

いや、それでもハードボイルドの食事として、おでんを喰らうのは相応しくない気がするぞ。

しかし、だからこそ、このメニューには何事かが隠されているに違いない。

 

ということで、色々と検証していきたいと思います。

 

おでんを金額で推し量る

通常、この『蘇る金狼』では ”最小ロット数は3” が適用されます。

前日の鶏の丸焼きも3羽だし、罐詰を食べるシーンではたいてい3個。

 

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そのほかにも、話の流れでつい『美味しんぼ』の話題にまで触れてしまったステーキ三皿など、とかく ”3縛り” が多い中、おでんに関してはそれが無い。

 

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強いて言えば「三百円」と金額のほうで ”3縛り” がされていますが、これは明らか趣が違う。

 

なぜ料理ではなく、金額のほうに ”3縛り” を適用したのか?

ここに、今回のテーマがあるのではと思っています。

 

「屋台の食べ物」は名店より美味

私は少年時代から「屋台のおでん」に強烈なあこがれがあります。

 

しかし、ああいうところはお酒を飲むのがメインで、あそこで食事をしたいという人はあまりいないと思います(私はしたい。お酒抜きでおでんだけ食べたい)。

 

そういえば少年時代、行きつけの銭湯の前に、よく屋台のおでん売りが店を出していました。

 

私の実家は、外食はほぼゼロでした。

そんな母でしたが、この屋台おでんは割と頻繁に食べさせてくれました。

 

その他にも、商店街によく出ていた、おじいさんが引くわらび餅の屋台もそうだった。

 

コーン皿に、丸くて瑞々しいわらび餅を盛り、そこへ黒蜜ときな粉をかけ、さいごに爪楊枝を1本立てて手渡してくれる。

これが格別に美味しかった。

見かけるたびにねだる私に、母は何度も買ってくれました。

 

ちなみにこの時のわらび餅は1人前30円。しばらくして40円に値上がりした記憶があります。

 

いい感じに水分を含んだ、柔らかでサクッと歯が入るわらび餅の甘美な味わいときたら・・。

 

爪楊枝で刺してはひとつずつ口へ運び、最後は器を食べて、残るのは楊枝1本。

衛生概念は今より緩かった時代ですが、シンプルで環境にも優しく、そして何より美味であった・・

 

これこそ今日の私のわらび餅におけるスタンダードであり、その味のレベルはかなり高い。

 

さすがに昭和時代の充実した屋台業の成せる技といったところでしょうか。

 

酒が無くとも、おでんはうまい

心の中にそんな郷愁を抱く私にとって、「屋台のおでん」への憧れがいかに強いかをご理解いただけたでしょうか?

 

しかし残念ながら、若い頃にはまったくお酒が飲めなかった私にとって、屋台のおでんは完全に異世界で踏み込めない。

 

朝倉君が入ったのは屋台ではなく「大衆的なオデン屋」ですが、グツグツと湯気が立ち上るおでん鍋を中心としたシーンであることにはかわりがなく、ひときわ強い思い入れを感じるのです。

<次回予告>

「三百円分のオデン」って、いったいどのくらいの分量なの?

乞うご期待!