この記事は、もっと早く書き上げてアップするつもりだったのですが、目の調子が悪くてブログに取り掛かれなかったため本日になってしまいました。
しばらく前のことですが、こちらのブログを書いているコジさんが、以前私がリクエストした「憧れの職業」についての記事を書いてくださいました。
その際、わざわざ私のブログを言及して頂き、初めて『言及される』という状況を知ることができました。
お返しと言ってはなんですが、私も言及してみます(コジさんは経験済みかもしれませんが)。
極めると分野を超越する研究職
さて、コジさんのこの記事を拝読すると「研究職」という言葉が出てきます。
私は大学のことは詳しくないのですが、修士課程を取った学生は、身に付けた学識をより活かしたい気持ちも強いでしょうから、研究職への指向も当然なのでしょう。
そこでふと思い当たりましたが、私は少年時代「公害の研究をしている人たちを応援する」という将来を想像し、その応援相手である研究者がいる場所に就職したいと思ったため、国立公害研究所(当時)に入所した過去を持っていました。
思えば、研究者に囲まれた生活だった。
そこで「研究者」という方々と接した経験について、少し書いてみたいと思います。
好きな研究者は?
敬愛する学者の名を挙げよ、と言われて私が瞬時に思い浮かぶ名前は2つ。
ひとりは緒方洪庵先生。
幕末の大阪適塾を興し、福沢諭吉や佐野常民、大村益次郎や大鳥圭介など、当時の歴史を動かしたビッグネームを何人も育てた“知の巨人”と言ってもよい人物です。
そしてもうひとりは東工大名誉教授の市川惇信先生(2018年逝去)。
学術的に数多くの業績を残される一方、国家公務員としては人事院の人事官や、国立環境研究所の所長などもお努めになりました。
市川先生が国環研に在任中、私はそこの事務職のひとりだったので、広い意味で言えば、私は先生の「部下」でした。
前後に所長を務めた方のお名前も当然存じ上げていますが、なぜか私は市川先生には特別惹かれるものを感じたファンのひとりでした。
そう思っているのは私だけではありません。
市川先生は研究所の中でも人気が高く、ご出身の東工大でもやはり“市川人気”は非常に高かったようです。
本当かどうか知りませんが、ご自身も知らないまま学長選挙で2位になっていたことがあるなんていう話も、所内で聞いたことがあります。
東工大のHPを見ると、たしかに学長選挙は「自薦、他薦を問わず」という一文があります。
「人格が高潔で学識が優れ、かつ、大学における教育研究活動を適切かつ効果的に運営することができる能力を有する者」
というのが第一条件のようですから、市川先生ならまさにうってつけでしょう。
「システムの限界」は機能の限界に非ず、『想像力の限界』である
ちなみに、市川先生はシステム科学の専門家で、私の記憶が確かなら「世界認識するシステム科学 (ステアリングシリーズ―科学技術を先導する30人) 」という本の中で、当時の私に忘れ得ぬ『システム観』を示してくださいました。
「システムというのは、そのものが元々持っている広範囲な機能のうち、人間の目的に合わせて使用の限度を定めているものである」
といった内容だったように記憶しています。
たとえばわかり易くExcelに例えると、私たちが目的に応じて日常的に使っている機能は
アプリケーションの中の、ほんのごく一部分にすぎません。
本来のExcelの機能は、到底1冊の教則本に収まるような狭量なものではなく、使用者側の知識が不足していたり、ポテンシャルを活かし切る想像力が及ばないから使えていないものが、まだまだ大量にある。
ということは、
現存システムの環境下で未解決な問題は、システムを作った頃の発想の限界を表すものではなかろうか?
ならば、現状の未使用リソースの可能性を追求し、改めて加除を行いシステムを再構築すれば、問題は解消可能ではないか?
というあくなき探究心で物事に向き合うべきである。
その一方、
要/不要を考慮せず、システムにリソースを詰め込む自己満足に陥り、目的(本質)を見失ってはいけない。
人的な要素も含めた資源の浪費を招いたうえ、結果として使用者が機能過多に振り回されるものを作ってはならない。
まあ、私なりの解釈にすぎないのですが、先生はこのように仰っているのではないかと思うのです。
当然ここでいう「システム」とは、IT機器に限ったことではなく、社会基盤や教育の仕組みなど、ソフト面にもハード面にも適用される幅広い概念です。
たぶん「工学」というのはメチャクチャ範囲が広そう
市川先生は「工学博士」ですが、工学というのはこういったことまで含むのでしょうか?
私は学問関係の知識というのはさっぱりなのですが、どうも「工学」の定義がはっきりしません。
もちろん、字義は調べればわかりますが、その教育や実践の現場というのは、かなり広範なものなのでしょう。
以上、私が関わった研究者のうち、はるか雲の上の存在だった市川惇信先生のことを書きました。
日常的に接していた他の研究者の様子についても、私の記憶の整理のために、また別な機会に書いてみたいと思っています。
また、当時の私は研究所で誰も比肩し得ない最低給与額の事務職でしたが、幸運にも市川先生と直接の対話の機会が何度かあり、とても思い出深い良き記憶ですので、これについても残しておきたいと思っています。
しかし、緒方洪庵、市川惇信両先生は、いずれも穏やかな君子人(当然、洪庵先生に接したことは無いですが)でしたが、現実社会に活きる実学の達人でもありました。
研究分野を極め、学術を携えて世と渡り合った結果、大いなる横展開をして広範なニーズに気づき、今度はそれを携えて研究マインドを深める連続だったのでしょうね。
研究に一生を捧げた、実に敬愛すべき規範ではないでしょうか?