【感情会計】善意と悪意のバランスシート

善と悪の差し引き感情=幸福度

発症後に行政の案内を鵜呑みにしてはいけなかった実例(かかりつけ)

発熱で夏風邪と思っていたら、3日後の夜から発生した味覚と嗅覚の異常。

 

さすがに検査を受ける必要が生じたと思い、盆休みに入ってしまった最初の内科ではなく、近くの病院に相談するつもりでした。

 

blog.dbmschool.net

 

夜が明けて病院の開始時刻を待つ間、「感染の疑いがある場合は?」というキーワードでネット検索してみました。

 

すると、区のホームページでは『東京都発熱相談センター』というところへの連絡が記されています。

covid19.supportnavi.metro.tokyo.lg.jp

あとになってから調べてみると、これは私の住んでいる区だけでなく、大体どこの区を検索してもほぼ同じように案内される。

 

「かかりつけ」の定義判断は自己責任

 

具体的な相談窓口を示されたのは良いが、ここで気になったのは「かかりつけ医」という言葉。

 

これさえあれば、都の相談センターをパスしてその先へ進めるようなので、できればそうしたい。

 

なにせ私は翌朝、直接医療機関に相談するつもりでいるのだから、余計なハードルを設けるのはやめて欲しい。

 

ここでお勧めし難いのは、行政の案内に乗っかって「かかりつけ」とかの”定義”を真面目に調べ始めること。

 

大体、発症してどんどん体の具合が悪くなる中、頭を使わなければならないのは相当な負担だし、政治家が大好きな『国民の皆さんの誤解』だって起こしやすくなる。

 

ちなみに、日本医師会の提唱する「かかりつけの定義」とは

何でも相談できる上、最新の医療情報を熟知して、必要な時には専門医、専門医療機関を紹介でき、身近で頼りになる地域医療、保健、福祉を担う総合的な能力を有する医師。

www.med.or.jp

ちょっと何言ってるか分からない

要するに”近所の医者”ってことかい?

 

私が知りたいのは「速やかにPCR検査を受けて疾病の正体を判別すること」

それができなければマスコミの大好きな『本日の感染者数』に入ることもできない。

 

どんどん悪化する体調のなか、一刻も早く検査を受けたいところに突如現れたナゾの言葉を読み解くための助けとしては、ほぼ役に立たない内容だった。

 

平時は「理屈を教える教科書」で良いが、緊急時は「すぐできる操作手順」が必要

ここ数日のニュースでも、単身者で自宅療養をしている人や、老夫婦が亡くなったりしていますが、それは感染者の頭数に入れてもらえた人です。

 

この時点で私はそこにすら達していない。

実際、そういう人も多いと思う。

 

そもそも『自宅療養』というカテゴリーに入る前に、こういったところでも用意周到に、棄民施策のふるいにかけられる仕組みが用意されている・・・と、思いたくなる。

 

政府との歪んだ政治的関係や、会長の言行不一致などですっかり信用を失っている日本医師会だけに、一層悪い印象を想起してしまう。

 

それなのに「日本医師会」などという仰々しい名称であるため、心が弱っているときや、情報に乏しい人たちが信用しやすい点もまた、なんともやりきれない。

 

医師会のHPでは

「かかりつけ医」とは(定義)

に続いて

「かかりつけ医機能」

と、法規のような文面が朗々と記されている。

 

これはテキスト(教科書)であり、いざというときに国民の助けになるものではありません。

 

ただし、私の場合、あらかじめこの用語を知っておいたことだけは、翌朝の病院との会話の中で、「いきなり聞かされた単語ではなかった」という程度に役には立ったようです。

 

ただし、その程度のことでしかなかった・・・