引き続き、物語の14日目 11月22日(火)17:30頃
いつもどおりに定時退社し、渋谷で二人の同僚(おそらく湯沢と石田)と別れた朝倉哲也は、朝鮮焼肉店に入ったとの記述があります。
お店の名前は書かれていないけれど、場所は大和田通り。
食べたのはホルモン焼きとのことです。
と、いうことは・・
珍しい再訪シーン ~ しかしそれを見破るには注意が必要
ここでちょっと、物語初日の11月9日(水)を振り返ってみましょう。
このときは「一杯おごってくれよ」と言い寄ってくる二人の同僚(湯沢と石田)を振り切るために、朝倉は大和田通りにあるホルモン焼きの店 ”アリラン” に、二人を誘います。
猥雑としたガラの悪い店内の雰囲気と、過剰なまでにワイルドなホルモン喰いを見せつけて、小心者二人の心胆を寒からしめ、早々に追い払うことに成功しています。
そんな理由で「おごってくれ」なんて言うか?
ちょっと話はそれますが、ここに至るまでのシーンで少し興味深かったのは、同僚二人が朝倉に「おごってくれよ」と催促した理由です。
その少し前、17時まであと数分というところ・・。
場所は、朝倉たちが勤務する東和油脂経理部の大部屋。
まもなく退社時間ということで、30人いる部員たちの気もそぞろです。
そんな中、真面目な会社員のポーズを崩さない朝倉だけが、ひとり集中力を保っていたことに端を発します。
真面目(ぶる)朝倉に目を留めた部長がそのことに言及し、部長におべっかを使う次長が後追いして朝倉を褒めそやした・・
石田はそのことで「部長の目にとまったんだから、君の出世コースは短縮されるよ」と羨望のコメントを発し、それに続いて湯沢が発したのが「一杯おごってくれ」という朝倉への催促だったわけです。
部長の発言には「ドラ」が仕込まれている
この場面を初めて読んだ当時の私は20代半ばを過ぎていて、職場では中堅係員(ヒラ)のポジションでしたが、正直「なんだかやたらにチョロいな」と思ってしまいました。
ちょっと部長に褒められた程度で、出世コースが早まるほどの影響があるのか、と。
ちなみに、経理部長の小泉は、朝倉になんと言ったのか?
そのコメントを引用します。
サラリーマンは気楽な家業ときたもんか知らないが、君たちに朝倉君の真面目さを望むのは無理かな?
たったこれだけです。
字面の中にドラでも仕込んでるんじゃないか?
そうでもなければ、たかがこれしきのコメントでそんなに撥ねないと思うんだけど。
この文章の中ならドラが『き』、裏ドラは『ん』あたりかな?
次長の言葉には、きっとワナがある
それに、すかさず部長にヨイショした金子次長が発した言葉が恐ろしい。
これもコメントを引用します。
それに熱心ですよ、朝倉君は。残業をやりたがらないのが玉に瑕ですがね
こんなことを、当時環境庁職員だった私が言われでもしたら、出世コースに乗るどころか「コイツ使えねえぞ」と宣言されたも同然です。
中央省庁の中で残業時間の長さに定評があった環境庁。
組合が「ワーストワン」と表現するからには、実態は真逆だということです。
「残業しないやつは、仕事のできないやつ」が正義だった時代、「残業をやりたがらない」などと評されるようでは非常にマズい。
内示を『打診』として聞ける奴になりたい!
どのくらいマズいかというと、50代になる頃に、引っ越しを伴う転勤の内示を、きっかり2週間前に聞かされるくらい ”主流から外されている” 悲しい未来が待ち受けている。
むろん、引っ越しを伴う場合の ”2週間前内示” は規則なので、それが適用されることは、本来のあるべき姿ではある。
しかし、組織から認められている職員ほど、こうした話は早い段階で、しかも『打診』の形で持ちかけられるので、断ることが可能です。
そうして候補者のうちの有力者から順番に、数回断られた秘書課は、最後には有無を言わさず『内示』に切り替えて当人の所属部署へ通達する。
もはや業務命令と化した内示に逆らえば、組織に居場所はない。
従う以外に道はない。
一方、長年住み慣れた持ち家や官舎では、「じゃ、お父さん独りで行ってきて」などと、ここでも有無を言わさぬ司令が発されて、慣れない土地、慣れない人間関係に加え、慣れない家事までも負担するなんていう笑えない状況に陥ることがある・・。
金子次長、滅多なことを言うもんではないよ。
そのセリフ、当時の環境庁で口にしたら、アンタ部下に刺されかねんよ。
見落とせない「ダマ再訪」
いやいや、話が大幅にずれました。
ともかく、大藪先生は前回表現との重複を避けてサラリと書いてますが、おそらくこの11月22日時点で朝倉が入店した ”朝鮮焼肉店” とは、約2週間前にも訪れた ”アリラン” と考えて良さそうです。
同じ店を2度も利用するのは、この作品においては極めて異例です。
大藪先生の大いなる思い入れが含まれているかのようで、実に興味深い。
それなら、2度目も「アリラン」と店名を書いてもよさそうなものですが、あえて触れなかったのでしょうか。
色々考えさせられます。
やっぱり今回もナマで?
さて、前回は同僚二人が食べずに退散したため、つごう3人前のホルモン焼きを独りで食した朝倉ですが、今回はなんと5人前を注文!
大藪春彦的世界観における最小ロット数『3』を楽々とクリアしています。
アリランでは、ホルモン焼きの食材を、大きな容器にドバッと入れて供されることが、前回利用時にわかっています。
私は「壺」とか「瓷」みたいなものを想像します。
「赤や紫の臓物が血の泡のなかでのたくり、それには分厚く唐ガラシの粉がへばりついた」状態で供されるらしいので、それが5人前ともなるとかなりの圧巻だったことは間違いない。
そして、肉を生で喰らうのは朝倉というより大藪先生の流儀らしいので、この5分の1くらいは生で食したことでしょう。
湯沢や石田でなくとも、絶対に引くな、これは・・
アリランは、肉体労働系やちょっといかがわしい職業らしき、目付きの鋭い男たちが店内を占めている怖い店らしい。
ですが、そんな彼らですら、朝倉がホルモンを喰らい始めたら全員が姿勢を正し、言葉を発することも臆するほどの恐怖を撒き散らすことでしょう。
やはり、独りメシにはそのくらいの疎外感が欲しい。
朝倉くん、それだよ、それ。
ここ何回か、君の食事に苦言を呈してきたけれど、やっぱりこれが君の真骨頂だ。
その調子で、これからも存分にかましちゃってくれ。期待してるぞ。
と、しかし、ここで驚きの情報が・・
この日の朝倉くんの独り飯は、ここで終わりではなかった!
(続く)