物語の14日目 11月22日(火)正午すぎ
昼休みにいつもの「出前の安ラーメン(こんなやつ⇩⇩⇩)」を放棄して会社を抜け出し、腕時計を買った朝倉。
ですが、その場所はアメ横だったため、時間があまりありません。
コンビニやファーストフード店が無い時代、「移動メシ」はどうしていたか?
朝倉は京橋の会社を出て、国電(死語)で御徒町へ赴いたのですが、東京駅からだと神田、秋葉原を経由するので、3つ目の駅となります。
片道の乗車時間だけで6分かかる。
電車でランチに行けるための条件とは?
かつて私は霞が関に勤務していました。
その頃に、霞が関から丸ノ内線で銀座まで行ってランチすることが時々ありましたが、「昼休みの時間内で、電車でランチに行く」という高めのハードルを越えられた理由は、次の2つです。
1:会社のビルの地下から駅に直結している
2:霞が関から銀座は隣の駅であり、乗車時間は1分
徒歩で虎ノ門あたりまで出ばって行列の餌食になるよりも、電車で銀座まで出て、すぐに入店できる方が早いからこその行動です。
時間にシビアな大藪春彦作品、健在!
朝倉君は、乗車時間だけで往復12分を要する場所まで出向いただけでなく、駅と直結のビルだった記述はない。
おまけに、買い物までしている。
入店してから、購入して店を出るまでの時間が5分であったことが、作中に明記されています(さすが大藪作品!)。
となれば、コアの時間が17分であったことが導かれます。
【会社 ⇔ 東京駅】、それと【御徒町 ⇔ 時計店】をダッシュすれば、移動と買い物の所要時間を20分以内に抑えることが可能かもしれません。
しかし、地味なサラリーマンであるイメージを崩してはならない朝倉哲也。
会社近辺で血相を変えてダッシュしている姿を同僚に見られるわけにはいきません。
ここは無難に歩いて行動したでしょう。
さらにはホームで電車を待つ時間を含めて考えたら、今回の移動にかかる総所要時間は30分を超えそうです。
「電車でランチ」には厳しい条件のとき、昼メシはどうするか?
過去に、同様にシビアな時間制限の中、昼休み中に2箇所でメシを喰らった実績を持つ朝倉です。
(⇩⇩⇩この時の朝倉はカッコよかった。ハードボイルドとは正にこういうことだと唸らされたシーンです)
それゆえ、今回のシーンではどんなスゴ技を使ったのかと期待しましたが、残念ながら大藪先生がここで用意した食事シーンは以下の一文でした。
駅売りの牛乳とサンドウィッチを立ち食いして昼食がわりとし、京橋の会社まで歩いて帰った。
置きにいったな、朝倉ッ!
まさかここで勝負を避けるとは・・
貴様それでもハードボイルドかぁっっっ!!
やはりアレか? 孤独にメシを喰らう鉄則を反故にして女と飯を喰ったせいか?
またチッチ勢が荒ぶるぞ。
⇧⇧⇧このシーンでは明らかに日和ったと思わざるを得ないほど、置きに行った喰らい方をしていた。
「三センチの厚さのビフテキ」なんていうゴマカシは私には通用しないぞ、朝倉よ。
しかしその一方、「朝倉は会社近辺でダッシュしない」という私の想像はしっかりと裏打ちされていることに驚かされます。
『京橋の会社まで歩いて帰った』
(さすが大藪作品!)
記載のない「牛乳の本数」と「サンドイッチの種類」の読み取り方
ただし、駅で飲んだという牛乳の本数に関する記述がないことは、大いに引っかかります。
あるいは数多の大藪ファンには、これにはいちいち記述を要さず、こう書いてある場合には自動的に「3本」と脳内変換すればよいという不文律がある。
しかしそれでも「何サンドイッチだったのか?」は気になる。
レタスサンドなどの野菜系ではないことを疑う余地はない。
雑な造りのサンドイッチ体験と比較してみよう
私が勤務していた頃の、霞が関の合同庁舎5号館地下1階には、食品を売っている購買の店がいくつもありました。
当時のことですから、有名チェーン店などは入っていません。
ゴミゴミした雑多な一角に、クリーニング店や喫茶店、雑貨店などが、境界もあいまいに並んでいる状況です。
祭りのときに神社に立ち並ぶ屋台群よりも、さらに雑然とした印象でした。
それらの店で売られているのは菓子パン類が多かったのですが、一箇所だけ冷蔵ケース内に「ステーキサンド」を置いている店がありました。
見栄えはみすぼらしく、いつ見ても少しひしゃげているので、どう見ても高級感とはかけ離れている。
・・というか、ちょっとでも見た目を気にする人なら間違いなく「選ばない」と言い切れる様相でした。
味のほうも、とうてい美味いとは思えなかった。
けれど、当時野菜が苦手だった私は、これがあるとよく買っていた。
食べているうちに ”愛着” とも言えない ”慣れ” が生まれてしまった、私のような雑な固定客が多かったのだと思いますが、遅めの時間に行くと売り切れていることが多かった。
ここは妥協することなく「肉を挟んだパン」で
現在のサンドイッチのように、作り方やパッケージの見栄えを奇麗に整えた製品とはかけ離れた、平成初期の『購買のサンドイッチ』
『蘇る金狼』は昭和41年の話ですから、それ以上に大雑把なものだったかもしれません。
当時の国鉄の駅売りサンドイッチがどのようなラインナップだったのかはわかりませんが、朝倉君には是非ともステーキサンド、それがなくてもハムカツやハンバーグサンドを食してもらいたいところです。
そして実は、この日の昼食は、たんなるオードブルに過ぎなかったらしく、本番は夜の食事にあったようです。
私はまんまとオードブルに食いついて、このシーンをいじり倒してしまいました。
11月22日はまだ終わらない。
続きはまた次回に書きましょう。
最後に、そもそも『蘇る金狼』が何かをご存じない方もおられると思うので、久しぶりに原作を紹介しておきますか・・