自分への痛みや恐怖がないと、無関心な人間は動かない
小学生の頃に聞いた話。
夜、ひとりの女の人が仕事帰りに住宅街を歩いていると、怪しい男に追いかけられた。
「助けて!」
そう叫びながら逃げる彼女。
静かな住宅街に、その悲鳴は聞こえたはず。
しかし、誰も彼女を助けに外に出てくる人は居ない。
切羽詰まった彼女はこう叫ぶ。
「火事だぁ! 火事だぁ!」
あっという間にあちこちの扉や窓が開いてたくさんの人が、慌てて顔をのぞかせる。
「助けて! 襲われる!」
彼女は、自分の姿を認めた人々に男を指さし、男は逃走。
辛くも身の安全を守った。
「助けて!」という不協和では、無関心な人間の「私は関わりたくない」という思いによって無かったことにされてしまうけれど
「火事だ!」という不協和は「対処しないと私が大変な目に遭う」と思わされるレベル。
だからこそ【無関心】から手のひらを返したというわけだった。
痛みに代わる「不協和」
本当に身の危険を感じたときには、最も効果的な不協和状態を作り出さないと助けが得られない場合がある。
「『増税メガネ』という呼称は、反ルッキズムの観点から相応しくないのでは?」
などという意見があるようだけれど、これをルッキズムの問題にしている人は、さぞかし豊かな生活をしていて、全く身に迫った危機を持っていない幸運なお方なのだろうなと個人的には思う。
風紀委員体質というのは場をわきまえずに正論を振りかざす悪癖を伴うことが多い。
秋田の熊問題でもそうだが、理想論を振りかざす快感に浸って現場の現実を見ないゆえ、正しいと思いながら、困っている人をさらに追い詰める人間はとてもおそろしい。
岸田総理その人が、まさにそのとおりなのだが。
何度か記事にしたが、「悲鳴を上げるときに敬語を使う人間はいない」というのが自然な姿で「増税メガネ」は悪口じゃなく、あくまでも悲鳴と考えている。
あまりの不協和フレーズゆえに、あれほど聞く耳を持たなかった首相が気に留めたではないか。
逆にこれぐらいじゃないと、国民の苦しみや怒りを一切無視したまま一気に困窮者の息の根を止めにかかっていてもおかしくない。
そういう意味では「増税メガネ」は首相の暴走を止めてくれた天の配剤だと思う。