食風景の気に入ったシーンの簡単な感想を書いていきます。
大阪適塾の塾生たちの「めしどき」
幕末の蘭学者・緒方洪庵が塾長をつとめる「適塾」
塾に寄宿している塾生たちは、生活のすべてをこの学び舎で過ごします。
食事時になると、2階から2~30人の塾生がどっと降りてきて、台所の板敷と土間へやってきます。
大きな飯櫃がふたつあり、自分でご飯をよそって食べます。
おかずは決まっていて、以下の内容です。
(これは福沢諭吉が当時を振り返って語り残したらしく、司馬さんの小説以外でも確認できます)
毎月1と6の付く日:ネギと薩摩芋のなんば煮
3と8の付く日:シジミ汁
5と10の付く日:豆腐汁
福沢さんの記憶は2と7の日、4と9の日には及ばなかったのか、それらの日のメニューが残されていないのが残念です。
ちなみに、板敷と土間が狭いために立ち食いだったそうです。
適塾の中に入り、広さを見聞してみた
数年前、私は堺筋本町からブラブラと淀屋橋のほうまで歩いていき、適塾を見学しました。
建物に入り、板敷と土間に立ってみました。
見渡すと中々広い。
しかし、ここで20人以上の男たちが食器を抱えて飯をかっ込んでいる光景を想像すると、なるほど座っては食えんな。
となると、立って食べるには、箸を持つ片手がふさがっているので、茶碗はひとつしか持てないと思う。
そして、ご飯と汁をまとめてよそうには、デカい茶碗でなければなるまい。
若い塾生たちが、各々デカい茶碗を抱えて一心不乱に食事する光景が目に浮かびます。
活気あふれる食事場を思うと、何やらワクワクします。