以前の記事でふれた仮面ライダーをバカにする ”知的な大人” である私の知人が喜びそうな『大人向けドラマ』でも、さすがにあり得ない設定が過ぎると視聴者が呆れてそっぽを向くことがあります。
やはりそこには、一本芯の通ったリアリティが要求される。
一見突飛な設定でも、細かな点でリアリティを持っているとやはり物語全体に締まりが感じられる。
これは仮面ライダーだって同じことです。
決め技や決めポーズ、お決まりのフレーズだけで成り立っている安直な作品ではマーケティングツールとして大人にサイフの口を開かせる効力が発揮できない。
たとえば「変身ベルトは普段どうしているか?」という問題があるので、今回はこの点について考察していきましょう。
(今後、第2弾以降を記事にする場合、ここまでの前置きは省略します)
まずは【響鬼】の除外から
対象は平成ライダー1作目の【クウガ】から2012年の【ウィザード】までです。(私はここまでしか見ていないため)
変身にベルトを用いないライダー【響鬼】は自動的に対象から外れます。
「ベルトしない、移動は自動車」という、掟破りが著しい【響鬼】に、ウルトラマンネクサスに似た思い切りを感じるのは私だけじゃないはず。
ファッション性のリアリティ
昭和のライダーは、ゴツい変身ベルトをはめっぱなしで行動しています。
そのせいか、どんなファッションをしていても、いつも同じ格好をしているイメージがある。
これだと、平成ライダーの時代においてはリアリティがない。
ヒーローだって・・いや、ヒーローだからこそファッションのディティールにもこだわっていくのが現代のスタイル。
必殺技とか決めポーズだけがヒーローの代名詞である時代はとっくに終わっている。
やはり、普段の生活の中におけるファッション性にもシビアな目が注がれる。
リアリティは、そういうところに存在すると思うのです。
仮面ライダーで「いつも同じ服」の主人公は珍しい
平成ライダーの中で、戦隊ヒーローのようにいつも同じ格好、という主人公がほぼいないことからも、そこは当たり前にリアリティに配慮されていることがうかがえます。
防衛チームのような『職業』ではないので、ユニフォームは不自然。
だから、主人公が普段着をどう着こなしているかは、物語づくりにおいて重要なファクターです。
「いつも同じ格好」と「ベルトはめっぱなし」の主人公
例外的な主人公としては【ウィザード】の操真晴人、【フォーゼ】の如月弦太朗、【W】の左翔太郎くらいでしょうか。
しかし【フォーゼ】は特殊な力場を持つ天ノ川学園高校を舞台に起きる事件に限定され、弦太朗は怪人退治を「仮面ライダー部」として行っており、いつも学ランを着ていることに不自然さはない。
また【W】の左翔太郎は尊敬する「おやっさん」こと故・鳴海荘吉の面影を残すレトロな探偵スタイルにこだわる男として描かれ、そこで説明がついてしまう。
しかも夏場はしっかりと軽装に衣替えしています。
そして弦太朗、翔太郎の二人はいずれもベルトは変身時のみ着用
そんな中、普段から変身ベルトを装着しっ放しである【ウィザード】の操真晴人は、かなり ”昭和寄り” のライダーという見方もできる。
じつのところ私は【ウィザード】に関しては、ベルトの点だけは微妙な気がしていたのですが、それだけに、モデルのようなルックスの白石隼也さんの着こなしの力量も感じてしまう。
序章 = The Biggining : 白石隼也ファースト写真集
整った顔立ちと、長身でスタイルの良い役者である条件にプラスして、ベルトは前面だけが派手で、そこ以外はわりとシンプルな造りになっていることも相まって、昭和ライダーのような極端な目立ち方は感じなかった。
ベルトのデザイナーや、服装をチョイスしたスタイリストなどのセンスも相当高かったのではないかと思います。
もう一つ思うのは・・どうなんでしょう、ベルトの常時装着は最初から決定していたのか、それとも主役が決まってから「白石君なら常時装着でもイケる」となったのか、実際ここは興味深いところです。
・・と、説明が長くなりましたが、とにかく【響鬼】と【ウィザード】は除外して、それ以外のライダーの変身ベルト装着について掘り進めてみます。 <続く>