「平成ライダー」という呼称が一般化し始めたのは、平成12年頃からではないかと思います。
オダギリジョー主演の『仮面ライダークウガ』を皮切りに毎年新しい作品が放映され続け、やがて完全にシリーズ化。最大の特徴であった元号は、すでに平成から令和に変わっています。
昭和のライダーシリーズでも、切れ目なく継続したのが1号ライダーからストロンガーまでと考えれば、それをはるかに超える20年以上の歴史になっているのですね。そう考えるとかなりの偉業と言えるでしょう。
「いい年して仮面ライダーで喜んでるなんて、アホか?」と言った上司
私が30代の頃の話ですが、特撮などいわゆる ”子供向け” の番組について話す大人に対し、強い偏見を持つ知人がいました。私より2歳年下の上司だった人物です。
ある幹部が、例え話として仮面ライダーの話を持ち出したことがある。
私の上司はそのことを挙げて、当該幹部を蔑む発言をしたのですが、実は私自身も彼に仮面ライダーの話をしたことがあるので、嫌味かなと思った記憶もあります。
彼に言わせれば、仮面ライダーが好きなやつなんて、子供だましに喜んでいる知性の足りない大人という分類になるようです。
なにかのコンプレックスの裏返しだったのか、なにかとポジショントークの多い人で、「オレ、仕事できるぜ。頭いいぜ」といいたげな発言が、弱者ポジションに居る人間に対して特に多く浴びせられるという、嫌な職場の創造主でもありました。
大人のくせに仮面ライダー観てるなんて・・という言い草も、その表れの1つだったように思えます。
「子供向けな部分」しか見てないあなたはどうなの?
ただ、それに対し1つ言わせてもらうと「仮面ライダーは子供だましで、そんなものを見て喜んでいるヤツの知性は低い」と決めつける人というのは、ひょっとしてその人自身が仮面ライダーを観たときに「子供が喜ぶフレーズ」「子供が惹きつけられるポーズ」にしか意識が向かないのではないか?と。
自分が受け取れる最大値がそこ(子供並み)なので、他の奴もきっとそうだと思い込んでいる人間なのではないか?
たとえば『仮面ライダー電王』を観たとして、「俺、参上!」みたいなセリフと決めポーズばかりが印象に残り、それ一色になってしまう、みたいな・・。
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実は内心「おっ、かっこいい!」と思ってしまった自分をあわてて他人に投影し、必死に否定しているとか??
「あっ…(察し)」と承っておけば良い気がしてきた。
(ちなみにスーツアクター・高岩成二さんの ”見栄切り” は実際にかっこいいので、別に否定しなくてもいいと思うけど。あの柔軟性、そしてなにより体軸のブレの無さは、運動能力として目指したいところです。世代も同じくらいだし・・)
大人としてどうこう言うのなら
むしろ年齢を重ね、いろんな価値観を持つ人々と接した経験から「他人が大事にする考え」を尊重するのが大人なのではと・・
「オレは子供のときにしか思わなかったけど、大人になっても特撮って楽しめるみたいだな。世代それぞれの特撮の楽しみ方ってものがあるのかな?」という表現なら、わざわざ周囲の部下たちを不快にさせることもないと思う(言い方にもよるが)。
そういう言い換えこそ、大人の知性なのでは?
そんな過去の釈然としないエピソードを紹介したところで、私自身がどんな具合に仮面ライダーという特撮作品を受け止めて楽しんでいるかを、今後、自分自身の分析をしつつ書いていこうと思っています。
(この手の「続く」式の風呂敷をいくつも広げたままなのが、気になっています)