前回記事の続き
秋山真之さんが戦術教官をしていた頃の講義内容をまとめた『秋山真之戦術論集』の話です。
ちなみに『秋山真之戦術論集』は2005年の12月に刊行されましたが、その後『海軍基本戦術』と『海軍応用戦術/海軍戦務』という2分冊になりました。
かなりのボリュームですから再刊の際の分冊化は仕方ないのでしょうね。
明らかにこのほうが購入しやすいと思います。
私の手元にあるのは初版の『秋山真之戦術論集』ですが、以下の話は上記の2分冊でいえば『海軍基本戦術』で述べられている内容です。
「業務上の要素」を分解する
真之さんは、総合的な戦力を「海軍戦闘力」と名付け、その内訳を4種の力に分類しています。
①攻撃力
②防御力
③運動力
④通信力
そしてさらに、これらのひとつひとつを構成するものとして、それぞれ「機力」と「術力」の2要素に分解しています。
「機力」は文字どおり ”機械の性能”
「術力」は、”機械を扱う人的能力” です。
4種いずれの力も「機力 ✕ 術力」によって算出され、その力こそが、前回記事内で引用した『潜力を現力に変化』させた成果を生むということだそうです。
そしてこれから私が触れるのは①の攻撃力についてです。
「機力」は数値化し易い一方、「術力」の数値化は困難
たとえばある戦闘において、同種の砲を担当した二人の砲員のうち、甲の成績が「100発80中」で乙は「100発50中」だとすれば、単純比較では文字どおり甲乙がつきますが、この場合の ”術力の数値化” では両者の差「30」を生み出す要因の定量化が重要視されるでしょう。

大きな戦艦だと甲板の面積も広くなるため、兵員ごとに持ち場の位置(座標)はかなり違うことになる。
それゆえ、時刻による日照の具合や、射撃機会に充分な射角を何秒間得られる航行状態であったかなど、仮に同種の砲を担当したといっても甲と乙の条件を完全一致させることは困難でしょう。
現代の一般企業なら「砲員二人の成績を評価して終わり」かもしれません。
でも、それだと総合力の把握には不充分ですし、教育を進めるうえでも都合が良くない。
あくまでも力とは「機力 ✕ 術力」で捉えないと、組織として準備すべきインフラの検証が不足していることになる。
たとえ訓練中であったとしても「術力」の発揮具合にバラツキは生じるでしょうし、いわんや戦闘時ともなれば心理的な差なども含め、各砲員のパフォーマンスはかなり異なる可能性があり、数値化は至難の業と言ってよいでしょう。
面倒なので尚の事「砲員の評価だけ」で仕事したことにして逃げたくなる。
また、戦闘では相手の攻撃によってこちらの攻撃力が削がれる(砲の破壊や人員の損傷)のは避け得ぬ宿命ゆえ、「相手の攻撃力」を予見しておくことも重要です。

そうなるとよりいっそう「術力の数値化」なんて難事業です。
バルチック艦隊来航の際、艦の船齢や排水量、砲の大きさや数といった敵の戦備(機力)は連合艦隊でも把握していましたが、当然ながら「術力」は測りようがない。
しかし、それが必須のことだと真之さんは言います。
「機力」と「術力」を明確に切り分けろ!
難事とされる「術力の数値化」ですから、あらゆる機会を捉えてそれを求める努力が必要だと真之さんは言いますが、それを自身でも実践していたことが、ある行動からうかがえます。
バルチック艦隊が日本への回航の途に就いた初期の頃、地中海で英国漁船を日本軍と誤認して射撃するという国際事件を惹き起こします。
無抵抗の漁船団は甚大な被害を負い、この事態を重く見た英国は日英同盟の手前もあり、露国を激しく糾弾する。

日本でも世論はこの過ちに対する指弾で溢れかえり、一方、海軍の将校たちは敵方の戦時心理を慮り、どちらかと言えば労る内容のコメントをしていた中で、真之さんはちょっと違った反応をしたらしい。(⇦この話は『坂の上の雲』で紹介されていたものです)
この報を部下の参謀から受けた真之さんは「それで英国漁船は何バイ沈んだか?」と問うたそうです。
真之さんが真っ先に射撃精度(術力)に強い関心を持ったことが読み取れる。
報告を受けるなり ”射撃能力” に思いが及んだのはこの人くらいなのではないでしょうか?
やはり見えづらい「術力」をいかに重視していたかが窺い知れます。
教育とスローガンは全くの別物
「敵は予算がふんだんにあり、戦備は充実している」は、正しい情報ではある。
けれど、戦闘という実務の現場にあっては必ずしも下馬評通りにはならない⋯
⋯という条件を、明治期にブレイクダウンして明確化するだけでなく、組織運営のスキーム化にまで昇華し、徹底させていた真之さんの感覚というのは、やはり一般的な思考から懸絶していたのではないかと驚かされます。
この本のこの部分、個人的に気に入っているので、もう少し掘り下げてみることにします。
<続く>










