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自分で自分を叱りすぎて、部下(後輩)を叱れない過ち

職場のコミュニケーションミスで、上司と部下がいがみ合う話を発端に「部下(後輩)を叱れない上司(先輩)」という話を2回にわたって書いてきました。

 

blog.dbmschool.net

 

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実のところ「部下や後輩を叱れない」というのは、対人関係以前に、自分自身のアイデンティティが原因であることが多いと思うので、今回はそれについて掘り下げてみたいと思います。

 

叱れないプロセスを論理的に考察しよう

 

「叱れないことで自分を責める人」の思考過程の一例を、流れで示してみます。

 

部下(後輩)を叱れない

 

私は上司(先輩)なのに

 

上司(先輩)なら部下(後輩)の指導はきちんとできなければならない

 

それにも拘らず、注意できない

 

ときに逃げ腰で注意して、お互いにイヤな感じになる

 

きっとそういう私は嫌がられているだろう

 

だから、私には上司(先輩)である能力が低い(または「無い」)

 

それにも拘らず、私は彼(彼女)の上に立っている。

 

だから、私は「ダメなヤツ」なんだ。

 

 過程の中に不自然な「思い込み」がないか?

上記のような記述は、カウンセリング心理学で「論理療法(ラショナルセラピー)」をご存知の方なら、よくお目にかかる心理描写でしょう。

 

出来事(A)→上司なのに部下を注意できない

固定観念(B)→上司は部下を叱れなくては本物ではない

結果(C)→私はダメ上司で、部下の上に立っているのが苦痛だ

 

このようなプロセスで、自分で自分を落とし込んでしまう、真面目な上司や先輩がいます。

 

私が学んだ頃には全く意識しなかったけれど、この療法はうつ状態の予防や改善に効き目があるようです。

 

つい思考法がマイナスになってしまうときに、事実の受け止め方を変えることができる論理療法は、うつ傾向がある人にはとても大切な素養なのかもしれません。

 

「事実」ならば立証できるが「推論」は立証不可である

「それは事実なのか、推論なのか?」と追及を繰り返すことで、誤った思い込みにアプローチしていくのが論理療法的な手段です。

 

たとえば、上に挙げた考え方のうち

「上司(先輩)なら部下(後輩)の指導はきちんとできなければならない」というものがあります。

 

相談者がそう思い込み、自責の念にとらわれているとします。

 

するとセラピストは「それは事実ですか?」 と問い、相談者が「ハイ。そう思っています」と答える。

そこでセラピストは「ならばそれを立証できますか?」とさらに問う。

 

大抵は立証できるようなものではなく、相談者が思い込んでいる推論に過ぎません。

他の上司や先輩の立場の人すべてが、完璧に部下や後輩を叱れているわけではないでしょう。

今は出来ている人でも、最初から出来ていたわけではないはずです。

 

だから、「できなければならない」ではなく「それができるならば、できるに越したことは無い」という程度に落ち着くのが普通だと思います。

 

「論理的に追い込む」のではなく
「論理的に解放する」なのでお間違え無く

論理療法のセッションでは、曖昧な観念によって自縄自縛している部分にスポットを当てていくので、この「立証できますか?」のくだりではおそらく「きちんとできなければならない」の『きちんと』が具体的に何であるかも聞き取ることになると思います。

 

こう書くと、相談者である“悩んでいる人” “弱っている人” を、セッションで追い詰めていく印象がありますが、論理療法の提唱者であるアルバート・エリスはユーモアのある対話を基調にして、論理的に詰めていくプロセスを和らげていたようです。

 

「それは事実か推論か?」は、自分に厳しい人がセルフでやると“ひとり取り調べ”に陥る可能性がありますので、できれば信頼できる人にその役を任せた方が良いでしょうが、それなりの腕が必要なので「ただあなたに好意的な人」というだけでは難しいでしょう。