カロリーが無ければ生きていけない。
でも、カロリーだけを口に押し込まれても体の機能が保てない。
時間に追われる忙しい人にとって、便利な加工食品は有り難い。
無くてはならないカロリーがほぼ調理不要で手軽に摂取できるだけでなく、カロリー量をコントロールしたい消費者に対しても豊富なラインナップが用意されている。
「機能的な食生活」とは?
「とりあえず腹を満たすカロリー摂取」に長けた加工食品。
ただし、天然素材が持つ栄養素が失われてしまう宿命がある。
そこをカバーするために助剤などが用いられるけれども、合成栄養素を飲み散らしていて長い間に問題はないだろうか?
せんじ詰めれば人もまた天然の存在であり、相性が最も良いのはより加工度の少ない天然の素材である。
活動エネルギーの源泉である「食」が自然の営みの中で行われるためには、カロリーとその他栄養素が「機能別」に分けられてしまうのではなく、一緒に摂れる食のあり方を見直す必要がある・・。
・・と、人体に影響する食物の摂り方に関する提言が様々な場所でなされ、実践している方も大勢います。
「カロリーとそれ以外」に機能分類した功罪
食の環境をしっかり整えることで自身の健康が作り出せるだけでなく、パートナーや家族まで守ることができ、やがては体質を受け継ぐであろう子々孫々に対する「長き健康の道標」を提供できるかもしれません。
とは言っても「腹に入れば何でも一緒」という考えの人も多いので、「とりあえず空腹を満たす」という機能性は依然として重視されています。
その考え方をベースにすれば、カロリーとその他(ビタミン・ミネラル・食物繊維・食物酵素など)を分割して、「もしも『その他』のほうも摂りたい人がいるなら、別売しておくのでお金出して買ってね」というやり方は顧客ターゲットを絞り込むことでマーケティングを明確化できます。
すると宣伝文句も効果的に作成できて、ビジネスの多様性と共にスピード感を演出し、社会に活気を生みます。
ただし、その他の栄養素をまともに含んでいない「空のカロリー」の進歩発展に、消費者側の成長がついて行かない場合、コントロールが難しくなります。
そこをカバーするためにメーカー側でやっているのが“カロリー量の調整補助”でしょう。
(本当は加工食品によって引き起こされる体内の栄養バランスの偏りや消耗にも対応しなければならないのですが、第一目的は「手軽にお腹を満たす」なのでそこは問題になっていない)
表示の明確化や製品ラインナップの充実で「空のカロリー摂取」のバリエーションを豊富にしますが、その他栄養素とのバランスのとり方は自己責任。
あくまでも「もしもそっちを摂りたい方は、別々でどうぞ(もちろん有料で)」ということになります。
食生活を改めるのが難しい理由
食生活は生活パターンの一環なので「食生活を変えよう」と、そこだけの矯正を試みると他にひずみが出る可能性が高く、なかなか上手くいかない人が多い理由もそこにあるのではないでしょうか。
以下に、完全なる健康的食生活じゃない例を列挙しましたが、結局のところここに書かれていない“食以外の部分”がどんな状態かの想像こそが「食生活の改善」のカギを握るのでしょう。
- 一日のうち1食だけは空のカロリーでしのぐけれど、それ以外は自然素材のものをしっかり食べている人
- 一週間のうち週末だけは自然素材で、ウィークデーは空のカロリーばかりの人
- 食事は全て空のカロリーで、サプリメントを大量に買い込んでせっせと飲んでいる人
- 栄養素などどうでも良いという考え方の人
手軽なカロリー摂取への手厚いサービスが充実する一方、自己責任となった「その他栄養素の摂取」に対しては、自分自身でチョイスしなければなりません(4番目に該当する人は“チョイスしない”というチョイスになります)。
こういう時には、巷に溢れる様々な情報の中から、適切と信じるものを取り入れて自分なりの食生活を形成していくと思います。
政府行政が示している基準や指針などは、たくさんの人々がアレンジして発信しているので、たまたま見たネット情報だと思っていたが、元をたどれば公的機関の発表だったということはよくあります。
行政が示す指針はアテになるか?
日本のトランス脂肪酸規制が欧米諸国と比較してゆるいのは「日本人の食事ではトランス脂肪酸の摂取は少ないから」という厚労省の見解があるからだといいます。
政府の指針自体が「トランス脂肪酸を使った調理でビジネスして良い」とし、同時に「消費者の利用は自己責任で」というものなので、我々の食生活が健康面で2極化するのは当然といえます。
この厚労省見解に憤慨する人の気持ちはよく分かります。
どうも厚労省は、日本人は伝統的な日本食を摂っている前提で基準を決めてしまっているきらいがあります。
都合の良いところだけをつまみ食いして、「皆がそうしている」と言い張る悪い癖が出ている気がします。
きっと「朝は食パンにマーガリンを塗って食べ、昼はファーストフードかカップラーメン、間食にスナック菓子、夜は揚げ物」みたいな食生活をしている日本人など居ないということなのでしょう。
FineGraphicsさんによる写真ACからの写真
朝マックして合同庁舎5号館に出勤し、昼はB1の食堂で豚汁定食付け合わせのデカいかき揚げだとか分厚い衣のトンカツ定食なんかを腹いっぱい食べ、仕事しながらB1の売店で買った袋入りデニッシュをパクつきながら飲み物にはコーヒーフレッシュ、夜は近辺の出入り業者からベチョベチョに濃い味のタレに浸かったてんぷら系の出前飯を食べて夜中まで働く厚労省職員などというのも、この世には存在しないらしい。
(うん?おかしいな。私は同じ5号館で勤務してたけど、環境省だから知らないだけ?出向者いっぱい居たけどなぁ?)
「給料」を「食事」に置き換えてみる
さて、私がここで言いたいのは食物のほうの話ではなく、働いて受け取る給料のことです。
仮に、お金を「カロリー」、働き甲斐を「その他栄養素」と置き換えた場合、健康状態がかなり末期症状を呈している組織が多いのではないかと思うのです。
ギブアンドテイクな関係の場合、より高いレベルで仕事をさせたいなら、それなりの価格交渉が必要なはずです。
しかし、指示は80%のレベルでしか出せなかったが、仕上りは100%だったということは割とよくある話ではないかと思います。
このとき「指示には無かった20%の引き上げ」を実現させたのは「仕事のやりがい」とか「会社が好き」といった金銭対価以外のことが原因であることが多いと思います。
「ただ払っていれば良い」というのはもはや『過去の遺物』
平坦な考え方をすれば、会社にとって支払った給与というのは、経営活動的には単なる「経費」です。
「空のカロリー」と考えてもさほどの違和感はないと思います。
でも、受け取った側が、もらった金額以上の付加価値を自然と提供したくなるような支払い主であれば、その給料にはカロリーだけでなくその他の栄養素も含んでいて、それこそ80を100にするようなパフォーマンスが発揮されることが期待できます。
あるいは、会社にそこまでの魅力が無く、ただ業界ベンチマークや業績に従って所定の給与を払っていたとしても、高度成長期のような社会の後押しがある時代なら「豊かさは『善』である」のようなメッセージを常に労働者やその家族に送り続けてくれるので、会社はただ払いさえすれば、世間が勝手にその他の栄養素を添加してくれます(というか『くれていました』)。
しかし、そういった後押しが全くなくなってしまったのが現代です。
中小企業や個人事業主こそ有利でありたい「給与の栄養バランス」
終身雇用が当たり前だったのは遠い昔のこと。
非正規労働者が蔓延し、正社員ですらボーナスや退職金があてにならない。
にもかかわらず労働時間は嵩み、人が減らされた分だけひとりが背負う責任は増える。
会社を出ても容赦なく仕事に踏み込まれる心休まらぬ私生活・・・
そんな人がごまんといます。
現状の金額に到底納得できないというのに、求められる付加価値は増していくとなると、カロリーもその他栄養素も充分なものが用意されませんので、必要なだけのエネルギーは従業員の身を削らないと生み出せなくなりました。
酷い話です。
会社側だって、従業員を雇うこと自体が非常にリスキーなことになり、ますます採用に二の足を踏むことになります。
たとえば会社がウィンで従業員がルーズなら、事業継続の理由が立ちますが、どちらもルーズになっていることがあります。
現在、中小企業や個人経営で従業員を抱えている事業主と、そこで働く従業員の両者にとって、給与支払いがただの金銭授受(空のカロリーの受け渡し)になっているようなら、是非ともそこを改良し、手厚い保護に恵まれた大企業にはまねのできない筋肉質の組織になり、この国の礎になってもらいたいと思いつつ、本編「感情会計―善意と悪意の財務諸表論」の記事をアップしました。
弱者の戦法に関心のある方は是非ご覧になってみてください。