感情会計-善意と悪意のバランスシート

財務諸表から逆算で人心を読むテクニック

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小さな自治体ほど魅力あり!!

富士吉田市が、住民への現金一律給付を行うという記事を読みました。

 

国の対応への不信感から、独自路線を行く自治体が増え、これまでと違った意味で地域社会の在り方に変化が生まれてくるのではと思わせてくれる事柄です。

 

私は昨日この記事を読み、「やはりこの規模の自治体は『皆住民』なのだろうな」と嬉しい気持ちになりました。

 

富士吉田市には4万8千人の住民がいるということです。

一人1万円だから支出額は4億8千万円。

さらに、給付自体にかかるコストが加わります。

税収を考えたら、かなり思い切った支出額ではないかと思います。

 

富士吉田市でも当然、リーマン対策の「一人1万2千円」が、景気浮揚に効果が薄かったことなどは常識になっているはず。

 

ただ、「何とか住民を助けよう」という想いを素早く行動に移すことで、自治体がバックアップする安心感を提供することが必要だ。

 

力が充分とは言い切れないかもしれないが、「今必要なことを、今やる」

 

 

と、そんな具合だったのでしょうか。

その姿勢が素晴らしいと思います。

 

 自治体は小さいほど魅力的だった

かつて私は環境省で公務員をしており、全国に10カ所ほどある地区事務所で事務責任者だったことがあります。

 

各事務所がそれぞれ複数の都道府県を管轄し、私たちの事務所もいくつかの県を担当していました。

当然、県だけでなくその管下の政令市、一般の市、町村とも、直接的な接触があります。

 

このため、県庁をはじめ大小の規模の役場職員と接した経験がありますが、そこで感じた中で最も象徴的だったのが、「自治体の規模が小さくなるほど、役場は住民のことをよく考えているな」という点です。

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KatieKatikoさんによる写真ACからの写真

 

町村の役場職員は『一住民』の自覚を強く感じながら、日常の仕事に就いています。

 

古くからの狭い地域で同じ苗字の人が多く、姓ではなく名前で呼び合うような場所では、役場職員と現地を回っている最中、近所の人たちが野良での会話のごとく話しかけてくることがあります。

 

時に公私が曖昧なやり取りも生じますが、そこで行われる会話のほとんどは“地域のこと”であり、この自治体職員たちの一挙手一投足が、地元の方たちと共同で行われている“生活(暮らし)”であることが伝わってきます。

 

 役場の仕事はれっきとした公務ですが、住民としての実感が強いので、自治体住民の生活の場に対し、感情のこもらない化学実験みたいなことはしない印象です。

 

町村の役場と、あまり大きくない市の職員からは、大体同じ匂いを感じ、とても好ましいものだったことを覚えています。

 

自治体は大きければよいというものではない

しかし残念なことに、大きな市や県を相手にすると、かなり様相が変わってきます。

 

「県民のため」という言葉に相当するスローガンは、上に挙げたような町村役場では全く聞かれません。

当たり前すぎて、わざわざ頭で考えてフレーズをひねり出すような必然性がないからです。

対象住民の絶対数が少ないから、理屈が要らない。

 

スローガンは本来、抑えられぬ強い意志を言葉にする意味で発されるものでしょう。

そういう意味では、どちらかといえば少数派に属する人に適した表現手段といえる気がします。

 

このため、大所帯が唱えるスローガンは「その意識を忘れないように」という戒めであることが多いはず。

 

「ここぞ!」という場面が見出しにくいので、やたらと沢山掲示したりして、サブリミナル方式になっていくのも当然です。

 

 あまり繰り返し聞かされると形骸化してきてしまうでしょう。

 

鬱陶しくなって、無意識にブロックする場合もあると思う。

お題目のように自身でも繰り返し口にはするが、「本気で考えてるわけじゃない」と思わないと身が持たない。

 

トップの人が人気取りのために「県民のために!」と高らかに宣言するのは勝手だ。

しかし、細かな業務に従事する末端の担当者が、一つひとつの作業を手掛けるときに「県民のために!」と気を入れていたら心身共に参ってしまう。

気持ちを込めないテクニックで身を守っている職員も多いはず。

  

1つの組織にいるのに、上下の意識が一致していない。

 

本来身を捨てるべき『公僕』なのに、正反対の”保身”に走る理由

力で押さえる統制の中では、創造性が下がるのは当然です。

 

恐怖政治みたいな雰囲気の中、新たなことへのチャレンジなどをやって隙を見せたら、上司からどんな攻撃を受けるか分からない。

 

そうなれば、「決まったこと、決められたことを、規定に沿って行うだけ」という方向へ、気持ちの幅も、行動の幅も狭まってくる。それが「保身」の第一歩です。

 

小さな市や町村役場の職員と、政令市や県の職員と接したときに感じる空気感の違いは、こういうところから得られたものではないかと個人的に思っています。

 

ちなみに、県職員よりも「住民意識」が薄いのは国家公務員だと思っています。

より一層、対象イメージの具体化が難しいからです。

 

私の現役時代、周囲で「国民のために」という言葉が聞かれたためしがない。

 

それよりも、局とか課に分かれた中での立ち回りのほうが、比べ物にならないくらいリアルな“生活(暮らし)”です。

 

ということは、それよりさらに「住民意識」に乏しいのは国会議員だと思うんですよね。

 

そうじゃない人もいると思いますが、とにかく虚実のスローガンが多すぎて信用しづらい。

 

それぞれ地盤のある方たちですが、“地元”というより“選挙区”だし、そもそも地元にばかり気を遣っていては、肝心の国民のことがおろそかになる難しい立ち回りの職業人です。

 

きちんと国務を果たせている議員さんというのは、さぞかし優秀な人で、そんなに数は多くないと思うので、定員もそれに見合う程度用意すればよいのではないでしょうか?

 

それにしても富士吉田市の市長や市議、そして職員の方々など、この決定に携わるときの気持ちはどんな具合だったのでしょう。

 

在野にいる私たちが「世の中に対してこんな働きをしたい!」と憧れる『公僕意識』みたいなものだったのでしょうか?

 

今回のことが住民の活力や安心感、そして自治体との一体感を強める結果になってくれればなと、ひそかに願っています。