最近、司馬さん関係の記事をずいぶん書いているのですが、きっかけはこちらです。
白蔵盈太さんが指摘した「歴史資料が少ない時代のほうが、司馬さんの『キャラ立て』の力が発揮され、その中でも『項羽と劉邦』は特に面白い」という絶賛記事です。
私も完全同意です。こんな記事まで書いてしまいました。
司馬史観が嫌われる要因の大きなものって、じつはこれでは?
司馬さんが作中で描く歴史的視点、いわゆる ”司馬史観” を嫌う人がたまにネットで散見されます。
「嘘を書くから」という声はよく目にしますが、それよりも、作品が持つあまりのリアリティゆえに、その後に知った史実との違いに気づかされたときに「騙された」と感じた人が多かったのではないかと思っています。
裏を返せばそれだけ「アピールが上手かった」
言葉を換えれば「プレゼンが上手かった」
ということは言えそうです。
パワポや動画などのビジュアル的な要素を用いず、文章一本でたくさんの人の歴史認識に影響を与え得たというのは、マーケティング的に考えたら凄まじい成功ではないでしょうか。
それだけ「他人の感情を引き起こし、記憶に定着させる」ことに長けた文章技術であったことがうかがえます。
「史観よりも、その文章力にあやかりたい」と考える司馬作品ファン
ちなみに司馬さんが「プレゼン」に使ったのは ”文章” ですので、我々も日本人として同じアイテムを持たせてもらっていることになります。
司馬史観のほうはあくまでも読み物として楽しみ、その文章力については、できればその腕前にあやかりたい。
とはいえ、ビジネス現場などの言葉づかいで無意識に司馬文学を使いこなしている方は多数居られるのではないかと思います。
「納期遅延の悪いお知らせ」を司馬さんならどう伝えるだろうか?
たとえば「トラブルが起きて、当初お客様に案内していた納期よりも大幅に遅れそうだ」ということが起きたとします。
そして、その見込みをお客様にメールで連絡しなければならないというケースは、多くの方が経験されていると思います。
納期遅延というやつですね。
怒られそうなとき「電話が良いか?メールが良いか?」
少し話はズレますが、こんなとき
「電話で怒られるより、メールのほうがショックが少ない」
という人も居ると思います。
ですが、こういう場合のメールで怖いのが、最初にこちらから送った連絡に対し、返信メールのCCに付加されているお客様陣営の大量のアドレス。
その方々にこちらの対応の一部始終が見られるように、ガッチリ照準を合わされたということです。
むしろ電話なら1対1のコミュニケーションで済む。
直接説得する相手はひとりでよく、会話から得た感触によって次のトークが最適化できることも多い。
「リアルタイムな反応」を期待できる手段の利点
いっぽう、WEB会議というのはしゃべり手が一人に対して大勢がそれを聞く「1対多」のコミュニケーションで、これもハードルが高いものではありますが、電話と同じくその場で相手のリアクションを感じられるのが救いでもあります。
主張しようと思っていた一文をしゃべっている最中に、一座の空気感に不穏さがうかがえたら「これはマズイ」と直ちにストップして方向転換することも可能です。
反論されればむしろ相手の意図がはっきりするので、問題点が絞りやすくもなる。
相手の事情に踏み込む余地のない「文章のみのプレゼン」
しかしメールだと ”その時の認識レベル” で書ききってしまう。
どんなに推敲したとしても、相手の状況が全く見えていない状態で文面を考えることになります。
読まれるまでの「時間の経過」も怖い材料だったりします。
今日のトレンドを ”翌日” に初めて目にするCCのメンバーも居たりする。
その間に相手側の事情がより切迫していたら、”昨日の認識レベル” で言い切られている文章は、場合によっては読み手の気持ちを逆撫でするかもしれません。
リスク回避の司馬文学
すでにインシデントは起きているわけですから、派生的なリスク回避のために
「事実を正しく提示する」
以外にも
「相手側の事情を汲んでいることが伝わる言い回し」
を重視して文章を作る方は、たくさん居られると思います。
そこに、さきほど上に述べた司馬さんの文章を読んだときに感じてしまう「プレゼンとは気付かないプレゼン」が加わっていればさらに心強い。
たとえば上で書いた「歴史認識に影響を与え得る」というフレーズは、「読み手に新たな認識を受け入れさせる」といってもよいかと思います。
これをビジネス現場に置き換えれば「事実認識に影響を与え得る」になり、「まずは納期遅延の認識を受け入れてもらう」ことができる説明文であれば御の字です。
感情を引き起こし、引き込む
そこに加えて、「他人の感情を引き起こし、記憶に定着させる」を相手方に施せれば、あるいは納期が遅れてしまうことにも比較的穏やかに「まあ仕方ないか」とご納得いただけるかも知れません。
さらに理想的なのは『一緒この状況を乗り越えよう』と、共闘する意識をお客様側に植え付けてしまうことです。
ある意味「ファンを作ってしまう」に近い。
もしもここまでの文章技術が身についていれば、一介のビジネスパーソンとしては、司馬さん並みの成功と言ってもさほど大げさとも思えません。
司馬さんが司馬文学でやっていることの代表例として「史実を元に読み手の感情を揺さぶって、自分の記述こそ真実であると思わせてしまう文章スキルの行使」がありますので、これは是非とも顧客対応に活かしたいですね。
もちろん悪意でこれをやるのはよろしくないですが、現実問題として納期遅延が起きてしまっている。
なんとかお客様をなだめてご納得いただかなければならないビジネス現場で、誠意を以て事実をお伝えするなら話は別です。
その状況下で「実情をもとに読み手の感情を揺さぶって、こちら側の主張にお客様をノセてしまう文章スキル」を行使する。
このように心がけて居られる方は、たくさんいると思うのです。
どうやっているのでしょうね?
司馬さんの作品を読んでいて、「揺さぶり」を感じる文章表現は山のようにあるのですが、たとえば前回の『播磨灘物語』での信長との初対面シーンにおけるセリフ回しなんかにも、そのテクニックが表れていたと思うので、それを簡単に書き出してみたいと思います。
<続く>